12月例会山行 納 古 山 (632.9m 二等三角点)

12月例会山行

納 古 山 (632.9m 二等三角点)

納古山は川辺町下麻生の北に聳えるゴツゴツした男性的な山。

難度の異なるいくつかのルートがあり、非常に人気の高い山で当支部でも何度か登っている。
集合場所は道の駅「ロック・ガーデンひちそう」。

隣接して「日本最古の石博物館」がありよく間違える。今回もあちこち捜し回った。

最初の予定では、木和谷林道を終点まで行き町境稜線を南下する一番平易なルート(ヒーリングコース)で登り、状況を見て中級ルート(アドベンチャーコース)を下るつも りでいた。

納古山

▲納古山頂上で参加者一同
ところが、道の駅での打ち合わせで逆にしたらどうだろうという提案があり、確かにその方が理にかなっている。

リーダーの私は簡単にその提案に乗ってしまう。
木和谷林道のアドベンチャーコース登山口周辺に車を止める。

既に何台か止っており、駐車場所を暫く探し回った。

最初は谷筋の道で、尾根に取りつく所で一本。尾根の登りでは、高齢の影山さんを気遣いゆっくりゆっくり歩むが、それでも少し速かったかな。

こまめに休みを取りながら高度を上げていくと、岩場が出てくる。以前に下った時はそれ程感じなかったが、なかなか面白い。

どこに出しても恥ずかしくない中級の岩登りルート。

当然登りの方が安全なので、コース変更は正しかったということになる。
天気は良いし風もない。

気持ちよく登って頂上。

あちこちにベンチが設けられているがほとんど満席、さすが納古山である。

ようやく一隅のベンチを確保して昼飯タイム。

そして北へ平易な尾根を下っていく。

途中で「塩の道」というのが山腹をトラバースして合流してきた。七宗町上麻生から同町神渕へと行く昔の交易路である。

いろいろな道を復活しているのだなと感心する。
稜線から離れた木和谷の道は植林帯の陰気な道。

意外に長く、嫌になった頃林道の終点に着く。

車の運転手はそれからさらに林道を一歩き。

と言っても大した距離でなく、ほぼ予定通り道の駅に戻り解散した。

疲れた影山さんを車で送り、そのまま下道を走っていたら途中に「パウゼ」がある事に気づく。

そこで写真展を見て帰宅、それなりに面白く有意義な一日だった。

[堀 義博 記]

[日 時] 平成27年12月13日(日)
[場 所] 岐阜県加茂郡川辺町下麻生、同七宗町神渕 境
[参加者] 影山英雄、白木貞次、白木しづゑ、竹中美幸、野田紀子、林 靖子、堀 義博、馬淵 等、村松哲彦
[タイム] 道の駅「ロック・ガーデンひちそう」発9:00=木和谷林道車止め9:10~9:15ー納古山頂上11:20~12:05-木和谷林道終点13:30~13:50(車回送)=道の駅14:05~(解散)
[地 図] 上麻生(飯田15-4)

11月バリエーション山行 雨 乞 岳 (1237.7m 三等三角点)

11月バリエーション山行

雨 乞 岳 (1237.7m 三等三角点)

大垣市上石津地域事務所に6時30分の集合でしたが、すでにここに参加される方は集まっていた。

車の乗換えをして国道365号線を南下し、三重県いなべ市に入り「黄金大橋南」の標識の所で国道306号線をさらに菰野町を目指して南下した。

途中右手方に烏帽子岳の他藤原岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳等鈴鹿セブンマウンテンと称せられる山々の姿を見ながら比較的に早く国道477号線との交差点「菰野」に差し掛かった。

近鉄湯の山線に沿って「道の駅菰野」に7時17分に到着、予定より1時間ほど早かった。

東雨乞岳

▲東雨乞岳頂上で参加者一同
下見の時は昼間だったので、今日より1時間以上時間がかかったのだ

。駐車場には他県の車が多く、紅葉の季節の影響だと思われた。
みんなが持ち寄った食料で軽い食事をしながら、まだみえない会員を待った。

結果的には予定通りの時間に出発となった。

湯の山温泉方面へ西に向かい、鈴鹿スカイラインに入って武平峠のトンネルを抜けると左側に駐車場があった。

が、すでに登山者のマイカーで溢れていたので、仕方なく反対側の路肩に3台止めた。

登山口の近い所であつたが、周辺は黄、赤の鮮やかな紅葉の様子を見ることができた。
身支度をしてから出発。雨乞岳の道標の矢印に沿って伐採された檜の植林帯の山腹を巻きながら登っていく。

登山道は分かりにくく赤白のテープを頼りに登るが、雑木の混じった道は崩れかかったりしてアップダウンを繰り返す。

小さな谷を横切って尾根を超えると沢谷峠で、案内板もなく通り過ぎて沢谷にでた。ここからは自然林に覆われ少し様子が変わり、クラ谷分岐に出会う。

そこは、割合に平坦で炭焼き窯跡と思われる所で皆さんからお菓子や果物をいただき一休み。

三叉路になっていて、右手はコクイ谷方面で最近登山道は荒れているらしい。

我々は、左手の小さな尾根を超えるとクラ谷にでる。何かと薄暗いが源流を登り詰めると滝にでた。

1000mを超える頃から前方が明るくなり、谷が広くなると落ち葉が敷き詰められた尾根から七人山とぼんやりした雨乞山かみえてきた。

途中なめこが生えている雑木林を見つけ取ろうとしたが、手間がかかったので帰りに取ることにした。
東雨乞岳への道はけっこう急坂で、息がきれるがなんとか登れた。

ここで一休みを取り記念写真を撮った。

周りの展望は良く視界も良かったがそれもつかの間、この時天候が怪しくなりガスがかかつてきて視界が悪くなった。

雨乞岳への取り付きを間違え、引き返して山頂を目指した。

夏場は笹が生い茂っているが、今回は掘り割りの道を駈け上がった。

山頂は狭く三角点に触れたが、けっこう沢山の人が登ってきたので即座に降り、景色や展望はやはり東雨乞岳の方が良かった。

ここで30分ほど食事や休憩をとった。

帰りは「東近江山岳遭難対策協議会」の看板⑨~①を確認しながら武平峠の駐車場まで降り、ここで解散となった。
[高木基揚 記]

[日 時] 平成27年11月22日(日)
[場 所] 滋賀県甲賀市土山町、同県東近江市甲津畑町
[参加者] 今峰正利、苅谷敬三、小林和男、後藤 允、白木貞次、白木しづゑ、高木基揚、竹中美幸、竹中佳美、林 靖子、馬渕 等、三宅一正
[タイム] 岐阜5:20=大垣市上石津地域事務所6:30=道の駅菰野7:20~8:30=武平トンネル滋賀県側登山口8:45~8:55-クラ谷分岐10:00-東雨乞岳11:25~11:35-雨乞岳頂上12:15-東雨乞岳12:35~        13:10-登山口15:20~15:35=道の駅菰野15:55=岐阜18:10(解散)
[地 図] 御在所山(名古屋10-2)

11月例会山行 金糞岳(1317m 三角点なし)~ 白倉岳(1270.7m 二等三角点)

11月例会山行

金糞岳(1317m 三角点なし)~ 白倉岳(1270.7m 二等三角点)

金糞岳とは変わった名前です。岐阜新聞社発行の「岐阜100山」では、「金糞とは鉱石を溶錬する際に生じる滓(かす)を言うのであって、金屎(かなくそ)とするのが正しい」とあります。

屎は精錬の際に生じる「かす(くそ)」を言うことのようです。
11月例会だから紅葉がすばらしい! と言うことでしたが、山の紅葉は終わっていて残念でした。

でも、途中の林道ではきれいな紅葉を楽しむことができました。

金糞岳・集合写真

▲白倉岳頂上で参加者一同
道の駅藤橋に7時50分集合。

鳥越林道の登山口へ向かい、途中の紅葉を楽しみながら登山口に到着しました。

駐車場に博多ナンバーの車が! 途中で車の持主に出会ったので聞いてみると、「この山は関西100名山だから登っている」とのことでした。

我々は岐阜県の山と思いがちですが、滋賀県境にあるので滋賀県の山、関西の山としても有名なようです。
8時45分に登山口を出発。

紅葉は終わっていましたが、好天に恵まれて素晴らしい眺望を楽しむことができました。

早くも白く化粧をした白山と別山、能郷白山に蕎麦粒山、他にも美濃の山々の眺望を楽しむことができました。
登山口から1時間10分で金糞岳頂上に到着。

10分ほど休憩をして白倉岳へ向かいます。

琵琶湖の眺望を楽しみながら30分ほどで白倉岳頂上に到着しました。

そこで楽しいランチタイムを1時間ほど過ごして金糞岳へ戻りました。
途中の登山道に白い石があり、物知りの方に訪ねてみると「ドロマイト」とのことでした。

帰ってから調べてみると、ドロマイトの用途の一つに「鉄鋼精錬用」とあります。

金糞岳の山名由来に関連している出来事が増えて、ビックリでした。
午後1時に登山口に戻り道の駅藤橋で解散、今日一日の楽しい山歩きを終えました。
[後藤 允 記]

[日 時]  平成27年11月1日(日)
[場 所]  岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内、滋賀県長浜市高山町 境
[参加者]  藤田純江(L)、小林和雄、小島孝子、後藤 允、下畑佐和子、高橋美江子、竹中美幸、那須哲郎、野田紀子、林 靖子、馬淵 等、水谷 透
[タイム]  道の駅藤橋7:50=登山口出発8:45-金糞岳頂上9:55~10:05-白倉岳頂上10:35~11:30-金糞岳12:05~12;10-登山口13:00~13:15=道の駅藤橋14:00(解散)
[地 図]  近江川合(岐阜11-4)

秋期懇親山行 富士見台(1739m 三角点なし)~ 南沢山(1564m 三角点なし)

秋期懇親山行

富士見台(1739m 三角点なし)~ 南沢山(1564m 三角点なし)

予定より早めに美濃ICを出発し、中津川ICで村松さんと落ち合う。

神坂峠に向かう車中で村松さんがこんな話をしてくれた。

東山道の難所と言われた神坂峠には、「信濃路は 今の墾(は)り道 刈りばねに 足踏ましむな 沓(くつ)履(は)け我が背」(信濃の道は最近開墾したばかりの新道です。

木の切り株で足を踏み抜かないように気をつけて、ちゃんと履物を履いていってね、私の旦那さま)必ずしも神坂峠を通ったとは限りませんが、まず千数百年前、当時の国道1号線と言うべき東山道の神坂峠も通過しただろう、そう考えながら越えたほうが趣があるではないか。

それにふさわしい古代人の妻の愛情あふれる歌だと思う、と。歴史にうとい私は驚嘆しました。

神坂峠には石碑が建っていて、頂上の「神坂峠遺跡」からは、古代に祭祀で使用された滑石で作った鏡、刀子、剣、勾玉、臼玉、管玉、などが発掘されたそうだ。

先を急ぐあまりか峠の石碑を見ることを忘れてしまった。
九十九折れの林道を駆け上って萬岳荘に駐車。幅広の登山道は大勢の人たちの通行で荒れていた。

県境尾根に登り少々体が温まるころに富士見台に着くと、朝が早いのに1グループが先着していた。

遠方は霞んでハッキリしないが恵那山、前山、御嶽山には白煙、南木曽岳、擂古木、と続き南アルプスの山影が続いている。

頂上から北に緩やかに下る。

広い尾根は腰高の笹原で先の見通しもよく頗る快調に進む。

トップの歩幅が広いのか普通に歩いているようだがかなりのスピードだ。

誰も「ゆっくり!!」と声を掛けない。

山富士見台

▲恵那山をバックに富士見台頂上で
前方には 横川山の尾根が東西に延びていて笹原の斜面に背高のドウダンツツジが赤く点在している。

生憎の曇り空で歓声が上がらない。

水場から尾根道になり鞍部から上り詰めると古ぼけた看板があり「湯舟沢山」と読める。

誰かが三角点の所がこの名前ではなかったのか?と声が出る。

さらにダウンアップしてようやく横川山三角点に着いた。

振り返って富士見台を見れば曇っていてドウダンの赤が笹原の緑に映えないが中々の眺めだ。

北に下ると唐松林、桧林と移り変わり南沢山に着く。

5年前の総会後に登った時は笹は雪の下であったが、今日の笹は顔の辺りまで立ち上がって展望は望めない。

休憩を兼ねて昼食。帰路では富士見台から神坂三角点に回る。登りでの荒れた道よりフカフカの道は本当に気持ちがよい。

広い尾根には落雷による遭難碑が静かに佇んでいた。神坂山の頂上には大岩があり登ると遠望がきくようだ。

「滑らない岩だから大丈夫!!」少し勇気をだして皆登って見た。
山荘の泊まりは2パーティーのようだ。

少々早いがテーブルを囲んで飲み始めた。

村松さんの最新情報では、モンベルから退職した人が起業した「ファイントラック」のウエアーは高価であるがよく売れているとのこと。

例えばパンツのベルトの端処理は、他のメーカーでは気を配ってないが、右ポケットの中に引き込むようになっていて、実演してくれた。

消灯で9時就寝。夜半から強風でドアがギシギシ、何処かでバタンと大きな音がする。

一眠りすると強い雨音も追加されていた。

明け方も同様な状況が続いていた。電気が点かないうす暗がりの中(管理人は下山しているらしい)で朝食を摂る。

天気予報では午後から上がるといっていたが、この状況では長時間を要する恵那山登山を諦めて下山することにした。

〔今峰正利 記〕
〔日 時〕 平成27年10月10日(土)、11(日)
〔場 所〕 岐阜県中津川市神坂、長野県下伊那郡阿智村 境
〔参加者〕 今峰正利、神山敬三、小林和雄、馬渕 等、村松哲彦
〔タイム〕 10日 美濃合同庁舎6:50=中津川IC7:50=萬岳荘8:55-富士見台9:25-
湯舟沢山10:10-横川山10:30-南沢山11:05~11:45-横川山12:10-
湯舟沢山12:25-富士見台13:20~13:45-神坂山14:05-萬岳荘14:25
11日 萬岳荘7:20=中津川IC8:20=美濃合同庁舎9:20(解散)
〔地 図〕 伊那駒場(飯田8-1)、中津川(飯田8-3)

9月例会山行 岩 籠 山 (点名 嵐山、765.2m 三等三角点)

9月例会山行

岩 籠 山 (点名 嵐山、765.2m 三等三角点)

岩籠山は野坂岳、西方ヶ岳と共に敦賀三山に数えられる山であり、山頂から北側には敦賀湾と敦賀市内、南側に遠く琵琶湖を望むことが出来る。

個人的に西の山は伊吹山以外はあまり行かないが、ゴジラ岩やインディアン平原が知られていて、行ってみたい山でした。
今日のコースは、北側の市橋登山口から登り、南東側の駄口登山口へ下るルート。

2台の車を事前にデポしておくことになるが、両方の登山口はあまり離れてないため、下山後の待ち時間も少ない。

参加者は新規に会友になられた女性3名を含め10名である。
市橋コースは沢沿いの登山道で、渡渉が何度もあり数多くの滝を眺めながら登ることが出来る。

初心者の沢登りコースとして楽しめそうなコースにも思える。沢筋を上り詰めると稜線の鞍部に出る。

稜線を右に行くと4等三角点のある夕暮山に行くが、岩籠山へは左に行く。

岩籠山山頂の東はクマザサの平原が広がっており、「インディアン平原」と言われている。

ゴジラ岩をはじめ花崗岩の巨岩が点在する平原には多くの登山者がいて、この山の人気の程が感じられた。

インディアン平原で参加者それぞれが昼食をとり、駄口登山口へ下山した。
登山道にはホトトギスの花が咲いていて、同行者の話から2種類あることをはじめて知った。

また、山ボウシの実が赤く実っており、食べているメンバーもいたが、あまりおいしい物で はないらしい。

私としては、お酒に漬け込んで味わってみたい気がする。

山岩籠山

▲インディアン平原の巨石群に遊ぶ
〔山本善貴 記〕

〔日 時〕 平成27年9月20日(日)
〔場 所〕 福井県敦賀市市橋~駄口
〔参加者〕 神山敬三、後藤 允、高木基楊、竹中美幸、竹中佳美、林 靖子、山本善貴
(新入会友)奥田康子、小島孝子、下畑佐和子
〔タイム〕 伊吹薬草の湯(集合、出発)7:00=駄口登山口(車デポ)8:00=市橋登山口
8:20-岩籠山11:15-インディアン平原11:35~12:25―駄口登山口14:05ー伊吹薬草の湯15:40(解散)

〔地 図〕 敦賀(岐阜15-3)、駄口(岐阜15-4)

1月例会山行 菩提山(401.0m 四等三角点)、明神山(658.7m 三等三角点)

[地 図] 1/20万;飯田   1/5万;金山   1/2.5万;上麻生
1月例会山行

菩提山(401.0m 四等三角点)、明神山(658.7m 三等三角点)

冬晴れの山日和、お正月でなまった体にはちょうどいい里山歩きを期待して20名が美濃国分寺に集まった。定刻8時に国分寺を出発。下山口の禅幢寺に車をデポし、別行動の影山さん夫妻と分かれ数台に乗り合わせて登山口の白山神社へ向かった。美幸リーダーのにこやかな挨拶のあと元気に登山開始。標高差は約280m。階段の多いひたすらの登りにうっすら汗ばみ、休むたびに薄着になっていく。やがて竪堀、堀切など山城の遺構が現れ始めるとまもなく9時20分、菩提山に着いた。
遠望はきかないが、眼下に垂井の集落が散らばって見える。案内板によれば、ここは西美濃最大級の山城で竹中半兵衛も住んでいたとある。晴れていれば名古屋まで見えるという眺望の良さは、戦国時代に必要だったのだろう。少し離れた所にある三角点にタッチして、次の目的地明神山へ向かう。菩提山までの道ほどよく踏まれていない様子で、最初の堀切へ下るのに早速に少し苦労する。やはり山城の防御にこういう堀は有効なのだと、身をもって納得した。
右手前方に見える明神山を望みつつ、シキビの黄色い蕾にまだ遠い春を想いながら緩やかに登る。標高400mあたりからうっすら雪が現れ、マイマイガの卵だらけの鳥居の立つピークを右折し関ヶ原町との境界稜線に入ると急に雪が深くなった。雪は大したことないだろうと全員ワカンを持たずツボ足で歩くが、時々雪を踏み抜いて膝までもぐる。少し読みが甘かったようである。少し標高を下げたあたりから雪で埋まった林道が左に現れ、しばらく登山道と並走しやがて離れた。
標高差250mほど、雪道を頑張って登ると東屋に着いた。林道も来ている。夏はここまで車で来られるのだろうか。明神神社にお参りをして5分ほど登ると11時20分明神山の頂上に着いた。立派な槙の木が3本と花をつけたサザンカが植えられ、目の前には真っ白な伊吹山が雄大な姿を現した。惹きつけられるようにしばし動けずただ見つめる。三角点は雪に埋まっていたが、しっかり根元まで掘り出されて無事にタッチできた。神社まで下っての昼食は日陰の東屋か日向たの雪上か、皆の選択は分かれ思い思いに陣取る。

山P1180039

▲明神山頂上から望む白銀の伊吹山
12時15分下山開始。途中ヤマトタケル伝説のある「さかさ杉」に立ち寄る。下から見上げると3本の太い幹に分かれ雪を乗せた枝を四方に力強く伸ばして迫力があった。鳥居を過ぎ堀切を這い上り菩提山に戻った。少し下った送電線の鉄塔附近の分岐で往路から左に分かれ、禅幢寺目指して真東へ下る。禅幢寺では竹中半兵衛の墓にお参りし14時40分無事に解散した。積雪の感触を楽しみ歴史に触れたいい山歩きだった。

山P1180042

[久野菊子 記]
[日 時] 平成27年1月18日(日)
[場 所] 岐阜県不破郡垂井町岩手~垂井町岩手、関ヶ原町関ヶ原 境
[参加者] 今峰正利、織田澤美知子、久野菊子、神山敬三、後藤允、小林和雄、清水友子      竹中美幸、長屋桂子、林 一美、林 靖子、藤井法道、藤田純江、堀 義博       山本善貴、他3名、(影山英雄、影山千代子―別行動)
[タイム] 美濃国分寺8:00=禅幢寺=白山神社登山口8:30―菩提山9:20~9:30―町境ピー      ク(鳥居)10:15―明神山11:20~11:30―明神神社前広場(昼食)11:35~12:15      -鳥居のピーク13:00~13:05―菩提山分岐13:35~13:40―禅幢寺14:20(竹中半      兵衛の墓参り)~14:40(解散)
[地 図] 1/20万;岐阜 1/5万;長浜、大垣 1/2.5万;関ヶ原、大垣

夏期山行  長良川源流部遡上~大日ヶ岳(1709.0m 一等三角点)

夏期山行

長良川源流部遡上~大日ヶ岳(1709.0m 一等三角点)

 

▲長良川源流、叺谷を溯る一行

向かった高速道路から、目指す大日ヶ岳はじめ白山までピーカンの好天。沢歩きにはまたとないコンデションとなった。打ち合わせ通り国道沿いの分水嶺碑で全員が落ち合い、叺谷の渡渉地点に向かう。さっそく身支度を整え左岸から沢に一歩をしるす。ここは標高950m地点、夏とはいえさすがにひんやりとして身の引き締まるほどよい緊張感。
所によっては膝上、股の辺りまで水につかる。全員渡渉タビを履いていることもあるが、ここの岩は滑らないので助かる。ほぼ予定の時間で堰堤の左岸を乗越し、巧みに岩や流れをやり過ごして上流を目指す。1396m地点南のガレ場あたりからは次第に越える岩が大きくなり勾配も増してくる。いつの間にか水の冷たさも忘れ、汗がしたたり落ちる。それまで見上げる空は大きく青々として、木々の緑が目に染みる景色が広がっていたが、標高1300mあたりからは次第に水量も少なくなり、空も小さくなってきた。登り始めて5時間、空がクマザサに覆われ無くなった頃、標高1520mあたりで岩の間から滴れ落ちる長良川最初の流れを確認。まさしくこの辺りが清流長良川最初の一滴である。
この先、あたりは親指の太さを超すクマザサの林、動物も寄せ付けない隙間一つないA級のヤブ漕ぎが続く。振り続けたナタがついに悲鳴を上げた。選手交代、助かったありがとう。1時間半以上続い
たヤブ漕ぎの末、ダイナランドからの登山道に飛び出す。全身は汗と泥まみれ、着ている服もところどころに穴が開く。感激のあまり登山道で思わずへタレこみ歓声が上がる。
そして目の前に山頂。360度のパノラマと至福の時をくれた。メンバーの中には初めての強烈なヤブ漕ぎに最初は口数も少なかったが、登って見れば忘れることの出来ない思い出の1ページになるはずだ。                        [藤井法道 記]

[日 時] 平成27年8月23日(日)
[場 所] 岐阜県郡上市高鷲町西洞~高山市荘川町尾上郷、高鷲町西洞 境
[参加者] 後藤 允、関本俊雄、竹中美幸、竹中佳美、林 靖子、藤井法道、水谷 透
[タイム] 岐阜県庁4:30=ひるがの高原分水嶺碑6:00=入渓点(長良川源流の碑)6:30~ 6:45-堰堤7:20~7:30-1396m点南ガレ部8:50~9:00-長良川源流地点(最初の  一滴)11:20~11:30-登山道出合13:00-大日ヶ岳13:20~

14:00-鎌ヶ洞(Ⅲ△   1356.2)15:10~15:20-ひるがの高原分水嶺碑16:50~17:00=岐阜県庁19:10
[地 図] 新淵(金沢4―2)、二ノ峰(金沢4―4)、石徹白(岐阜1―3)

8月例会山行  能 郷 白 山 (1617.4m 一等三角点)

8月例会山行

能 郷 白 山 (1617.4m 一等三角点)

山能郷白山2

▲能郷白山で見たアサギマダラ

能郷白山はいつでも行けると思い、まだ行かなかった山だ。今日は単独でないだけ気が楽である。相変わらず国道418号線は途中通行止めだ。また迂回路として利用予定の猫峠も土砂崩れの後片付け中で道路状況がよくない。幸い迂回路経由で温見峠に着くことができた。
登り始めは日差しが強く、勾配がきついこともあり足取りも重かったが、稜線に出ると涼しい風が吹き、快適に歩くことができた。大量の赤とんぼが舞い
秋の到来を感じさせた。途中、アサギマダラが美しく飛び、私以外の人は写真に収めていた。
ここは1等三角点でずいぶんと立派である。遠くには白山、日永岳を望むことができた。行きに若い登山2人組に会い、私たちがラストかと思ったが、帰路でも多くの登山者に会った。往復時間も短く、景色もいい手ごろな人気の山なのだと実感した。  [那須哲郎 記]

[日 時] 平成27年8月9日(日)
[場 所] 岐阜県本巣市根尾大河原、福井県大野市温見 境
[参加者] 今峰正利、竹中美幸、竹中佳美、那須哲郎、林 靖子
[タイム] 樽見駅7:50=温見峠9:10-能郷白山11:25~12:00-温見峠14:00=樽見駅15:20[地 図] 能郷白山(岐阜6-3)

6月バリエーション山行(白山禅定道探索シリーズ)  三ノ宿(1304.6m 三等三角点)、“三ノ宿”探索

6月バリエーション山行(白山禅定道探索シリーズ)

  三ノ宿(1304.6m 三等三角点)、“三ノ宿”探索

宿捜し

▲三角点脇の林道で両隊の参加者一同

[白鳥隊]
今年の梅雨はよく晴れている。今日も天気が良さそうだ。白鳥隊は白鳥物産センターから白山長滝神社に向けて出発し、神社裏手の集落から始まる長滝林道も車で進む。林道の状態は良く、標高700mあたりの尾根まで上ったところで駐車。まだ先に続く林道を歩き、10分ほど歩いたところで尾根へ上がる。この杉植林地の尾根には、わりと良く踏まれた作業道がついている。ところが平坦な尾根はすぐ終わり、傾斜がきつくなっていく。周りに杉の大木や切り株が現れる頃にはさらに急勾配となり、作業道は不明瞭となっていく。アカショウビンがヒュロロローンと鳴いている。ブナやミズナラの大木も出てくる。汗だくである。
1時間30分かけて、漸くかつての白山禅定道である稜線上に出る。この地点は開けたちょっとした広場になっており、杉の大きい切り株がある。一昨年の探索時も“宿”とするには良さそうだよね、と言っていた場所だ。念のため探索してみるが、水気はあるものの石など全く無い。休憩したいところだが、ブヨにたかられて落ち着かない。すぐに再出発する。
大きい杉の古株、倒木の散乱する稜線を30分ほど歩けば、三之宿ピーク目前の鞍部を見下ろす地点に到達する。この先は本日の最重要探索ポイントのブナ林だ。下層植生はササとなっている。前回もここまで来ており、下見済みだ。一旦、鞍部から上がると、平坦地がところどころ点在する。左手に水の流れる沢がある。ここからは分かれて探索する。沢は深く、詰めていくと沢の左手は急斜面で取り付けそうにない。右側なら簡単に取り付ける。やはり“宿”最有力地点候補は、沢右手に広がる県境線上の平坦地だろう。
大きい木を目指して探索するが、意外と大きいブナがない。若いブナ林である。一度、伐採してあるのではないだろうか。ササの下には全く石が見つからない。そのまま探索しながら県境線上の林谷の峠まで進むことにし、北上していくと杉が見えてくる。到達すると平坦地は終わり、下り斜面となる。その際に5個ぐらいの20~30㎝ほどの石(積石に適した形・大きさを備えている)が階段状になっている所を見つける。杉の大きい古株もある。周りの表層を払ってみるが、それ以上の石はでてこない。石の数や土地の傾斜を考えると“宿“跡とは少し考えにくいが、本日初めての複数の石だった。
この先の峠には林谷林道が見えているので、三之宿頂上へ行くために引き返す。その途上和泉隊の一団と出会う。どこから出てきたのであろうか。この探索中石を見ていないので、今見てきた所を皆で見てみようということになり引き返す。先程の地点を見た後、峠に降りる。ここに来てようやく理解
できたのだが、林谷林道がこの峠からさらに延伸し、三之宿頂上付近まで行っているとのことだった。この先は林道を全員で歩き頂上で昼食をとることにする。行ってみると三角点は林道の真横にあった。そのそばには石積に適当な石が沢山固めて捨ててある。「怪しいなぁ」と言っていたが、可とも否とも言えない。これだけ立派な林道が頂上を通っているのだから、“宿”を破壊していても不思議ではない。
昼食をとった後、頂上付近林道横の怪しい平坦地を両隊で合同探索する。ブナ林の中には 50㎝ぐらいの自然石はあるものの、“宿”跡らしき石積跡を発見できなかった。探索を終了し、林道に戻り記念撮影後、和泉隊と別れ下山となる。下山途中「やはりこの沢の辺り怪しいよね」と言いながら下山して行った。今振り返ってみると、地面を掘る道具を持ってくるのを忘れていた。もう一度、探索するなら林谷林道が使えるので、今回も気になった沢周辺100m位を集中的に探すべきだろう。                   [鈴木寛人 記]

[和泉隊]
5時30分、白鳥物流センターに集合。隊長の鈴木さんから「未発見の宿を見つけても、そこにある物は絶対に持ち帰らないようにしてください」というお話しがあった。ひょっとしたら‥‥、と想像すると何かワクワクしてきた。我々和泉隊8人は3台に分乗して出発、九頭竜湖畔から林谷林道に入る。林道にトラブルがあったらそこから歩くとのことで心配したが、なんとか通れる状態が続く。途中、左からの枝谷に素晴らしく大きな滝が懸っていて、帰りにじっくり見ることにする。その先にゲートが有りドキッとするが、鍵がかかってないことが分かりホッとしてさらに進む。
林道を走ること約1時間。パーッと視野が開け景色が広がる。標高約1130m。駐車スペースがあったので車止めとし、そこから歩き出す。道は舗装こそされていないが平坦ないい道だった。林道の両側には食べ頃のフキやワラビ、ウド、イタドリなどが出そろっていた。それを横目で見ながら頂上を目指した。頂上まで林道が続いていた。頂上では皆で三角点を捜しに藪に入り、林道のすぐ横の藪の中に隠れているのを見つけ出した。1304.6mの三角点の上には「三の宿」と書かれたプレートが架かっていた。点名は「保谷奥」という。
まずは一服し、未発見の宿捜しに県境を目指した。すると県境付近の藪の中から白鳥隊の声が聞こえるではないか。あまりの速さにびっくりした。藪に突入して合流。笹などが生い茂っているいるが平坦なところで、何か見つかりそうな予感がしたが甘かった。大木、石などを目当てに捜し廻ったがそれらしき所は見つからなかった。長年の年月が経ち、埋もれてしまっているのだろうか。でも宝捜しのようで何とも言えず楽しかった。
その後、三角点の下で全員揃って食事をした。食事の後、気になるところを再び捜したが無駄であった。諦めて又二手に分かれ下山。帰りの途中、滝の所で車から降り写真を撮って白鳥物流センターに向かった。               [藤田純江 記]

山052

▲林谷林道で見た滝
[日 時] 平成26年6月14日(日)
[場 所] 岐阜県郡上市白鳥町長滝、白鳥町千田野  福井県大野市下半原 境
[参加者] [白鳥隊]今峰正利、白木貞次、鈴木寛人、村松哲彦  [和泉隊]後藤 允
竹中佳美、久田宗昌、藤井法道、藤田澄江、堀 義博、松本 良、馬淵 等
[タイム] [白鳥隊]白鳥物産センター集合出発5:30=長滝林道上部車止め6:00―県境稜線7:25―頂上下の平坦地7:55~付近探索~三之宿頂上10:30~11:00~頂上付近探索~11:50―車止め13:15=白鳥物産センター13:50
[和泉隊]白鳥物産センター集合出発5:30=林谷林道上部車止め6:45―三之宿頂上7:55~8:20―県境稜線8:35~白鳥隊と合流、宿探索~三之宿頂上10:30~11:00~頂上付近探索~11:50―車止め12:35=白鳥物産セ

ンター14:00(解散)
[地 図] 石徹白(岐阜1-3)、白鳥(岐阜1-4)

6月例会山行(第8回今西錦司記念山行)  母 袋 烏 帽 子 (1340.8m 二等三角点)

6月例会山行(第8回今西錦司記念山行)

母 袋 烏 帽 子 (1340.8m 二等三角点)

母袋烏帽子

▲母袋烏帽子の三角点を囲んで参加者一同

当初オサンババ(1631.3m、山中峠からとったのか最近の2.5万図では「山中山」となっている)の予定であったが、めいほうスキー場のゲレンデの放牧開始によって登ることが困難になった事、庄川町寺川戸から山中峠への林道修復が遅れている事、又、5月下旬に佐藤正雄会員と旧一色国際スキー場からのルートを下見に行ったが、時間がかかりすぎる事、等々によりこの計画をあきらめた。そこで、1週間前に皆さんに連絡して母袋烏帽子に変更するに至った。
美濃総合庁舎に集合し、車3台に分乗し出発。ぎふ大和ICで降り、母袋温泉スキー場の駐車場には1時間ほどで着いた。駐車料金は500円。点呼をとって出発、温泉ロッジ左奥のキャンプ場のバンガローを過ぎるとアスファルトから砂利道に変わった。林道の周辺にはタニウツギのピンクの花が至る所に咲いていた。
標識が見え、分岐を左にとると山道に変わる。足元が悪く檜の根っ子が続くが、
風雨にさらされ土が削られて表面が露出し痛々しい。傾斜が緩い植林帯を登り詰めると尾根に出る。お助け水の案内板を過ぎるとやや急登となり、登りきると林道に出合う。「山頂まで60分、距離1660m」と書かれた道標を見ると、まだ登り始めて1時間もたっていないことに気がついた。さらに、白樺の道、ブナの道の案内板を経るとブナやミズナラの雑木帯が現れ、道も急登になり高度をあげた。そんなにも汗をかかず、気分は良かった。
この樹林帯を抜けると笹が生い茂り、頂上近くとなった。樹林の間からは遠く白山が見え、山頂に辿り着くとそこは平らで木陰に囲まれた休息しやすい所である。笠ヶ岳、毘沙門岳、荒島岳がくっきり見え、白鳥方面の街並みも一望できた。2時間弱の山行であったが、帰りは多くの林道が出来ており、間違いそうになり、回り道をしてしまった。 [高木基揚 記]

[日 時] 平成27年6月7日(日)
[場 所] 岐阜県郡上市大和町粟巣
[参加者] 久野菊子、後藤 允、白木貞次、白木しづゑ、杉山美智子、高木基揚、竹中美幸、竹中佳美、馬渕 等
[タイム] 美濃合同庁舎6:50~7:05=母袋温泉スキー場8:10~8:20-登山口8:40―白樺の道9:35-ブナの道10:05-母袋烏帽子10:25~11:25-林道出合い11:45-母袋温             泉スキー場車止め13:10~13:30(解散)=岐阜15:30
[地 図] 那留(岐阜1-2)