御在所岳 藤内壁前尾根 29年5月20日

山域:御在所岳 藤内壁前尾根

形態:岩登り

メンバー:塚原・鈴木・今峰・東明・梅田・山田

日付:平成 29 年5月20日 マルチピッチクライミングの練習(実践?)に藤内壁へ行きました。

3人1組の2パーティに分かれP7から登攀をスタートしたのだが…塚原チーム(梅田・山田) はスタンダードなルートを選んだのに対し、鈴木チーム(今峰・東明)はバリ エーションなルートを選んだため、間に他のパーティを挟んでしまい途中は別行 動になってしまった。

最終的に塚原チームはP2のヤグラと呼ばれる岩まで登攀し たのだが下りの巻道が分からず懸垂下降で下山ルートへ…鈴木チームはP3で時間 切れして下山ルートへ進むこととなった。

しかし、クライミング技術はさておき、確保および支点構築の技術に課題山積で あることを改めて痛感した山行だったように思う…もっと練習せねば(笑)

記録者:山田

岐阜県山岳連盟加盟山岳会の合同春山講習・実践登山 

岐阜県山岳連盟加盟山岳会の合同春山講習・実践登山

日時 5月4日~6日

開催場所 岳沢~こぶ尾根 岳沢~西穂高

(岐阜支部からは講習 1人、実践5人参加)

実践に参加された山田さんの報告文を掲載しました。

実践班と講習班に分かれて行動しましたので実践班の記録です。
初日はBC設営と雪上講習、二日目はコブ尾根から穂高稜線縦走して天狗のコルで 下山、三日目は奥明神沢から前穂の予定でしたが…
GW前の降雪と初夏を思わせる気温の上昇が相まってレベルの高い技術を要求され る状況での山行となってしまった。
谷間のデブリやシュルント、気温の上昇に伴う雪の軟化、二度の懸垂下降や フィックスの支点構築および回収などによりコースタイムが大きくずれ込み、穂 高連峰の稜線に全員がたどり着いた時には午後5時となり明るい時間帯での下山
は絶望となった。

翌日の天気は暴風雨との予報が出ていたが長時間の夜間行動は 危険と判断し稜線上でビバークを選択したが、適地を探すも強風を遮る場所がな かなか見つからない…

暗闇とガスの中をフィックスで安全を確保しながらの行動 はさらに時間を費やしビバーク体制に入るのも簡単ではないことを思い知らされ た。
岩陰のテラスを見つけたときにはすでに午後10時…8人ギリギリの広さではあった が無事にビバーク体制に入り身体を休めることができた。

未明には強風が暴風に 変わりツェルトが引き裂かれるハプニングもあったが、誰もテラスから落ちるこ となく朝を迎えることができたのは経験豊富な指導員の方々のおかげだと感じた。
明るくなるとともに行動を開始したが暴風と湿った岩と腐った雪…冷えと疲労 と睡眠不足のコンディションでフィックスのリードをしてくださった塚原さん、 それを回収してくれた水谷さんには指導者としての責任というものを実践で教え てもらえたと思う。

天狗のコルでは朝からの降雨で天狗沢は何時何処で雪崩が発 生するか予測ができない状況となっていたため、シリセードで一気に下山した。
デブリの中を滑り降りるシリセードはどんなジェットコースターよりも恐ろしい…
なかなか経験できることのない山行ではあったが、残雪期のバリエーションルー トの上でビバーク!

不謹慎ではあるが一人前の山屋になれたような気がした。

記録文 山田

天候の悪化などもあり、遭難ぎりぎりの実践登山だったと思われます。

山田さん、東明さんのヤマレコをご覧になると写真があり、凄さが伝わってきます。

山田さんのヤマレコ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1131388.html

東明さんのヤマレコ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1131107.html

梅田さんのヤマレコ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1131166.html

岐阜百山達成 新入会の梅田さん

岐阜百山達成

新入会の梅田さんが、願教寺山にて岐阜百山を達成しました。

個人での山行ですが、ご報告します。

HP担当の山本も、目標にしていますがなかなか達成できるものではありません。

報告のヤマレコ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1119506.html

すでに達成済みの諸先輩の方々、その他百名山、三百名山、などなど達成者名簿作成中です。

後々、メール、レポート、理事会などでご報告お待ちしています。 ホームページの内容が充実していきます。

ご理解ご協力お願いします。

9月自然観察会(鷹の観察参考) 下呂御前山( 空谷山 1412.0m 三等三角点 ) 平成28年9月25日(日)

9月自然観察会(鷹の観察参考)

下呂御前山( 空谷山 1412.0m 三等三角点 )

前日まではっきりしない天気が続く中、今日は朝から気持ち良く晴れた。

道の駅平成から下呂へ向かい、下呂ふるさと歴史記念館で日本野鳥の会の大塚先生、長野から参加された村松さんと落ち合う。

観音峠に到着したのは9時半頃。ここからの眺めは良く、金華山から御在所の方まで見渡すことができる。
今日の主な目的は、日本から南方へ渡る鷹の観察である。

大塚先生の解説が始まる。

鷹には渡りを行う種と行わない種があり、渡る種はサシバ、ノスリ、ハチクマ等である。

伊吹山麓に生息するイヌワシは渡らない。渡りを行う理由はエサである。

多くは昆虫を食するため、冬場は東南アジアに渡って行く。

東南アジアから日本に渡るのは、日本のエサ(昆虫、小動物)に余りがあるためであり、東南アジアに生息し続けたのでは競争が激しくなり過ぎるとのこと。

なお、渡らない種は日本固有の種を食する。
この時期に渡る鷹は北の方から白樺峠を経由し、御嶽山と乗鞍岳の中間、チャオ御岳付近を通り、金華山、伊良湖岬の方へと移動する。

鷹は上昇気流を利用して大きな円を描くようにして高度を上げて、目的地へ向かって降りて行く。

上昇気流が発生する西向き斜面を用いて高度を上げることが多く、多くの鷹が集まって高度を上げる様はまるで柱のように見えることから、大塚先生は鷹柱と呼んでいた。
さて、解説を聞く間にもサシバが2~3羽渡って行く。

肉眼ではかなり小さいけれど、優雅な鷹の姿が確認できる。

20羽ぐらいの大群が見えたが、御前山の方向へ消えた。

ここに居てはダメだと登り始める。観音峠からの道は藪であるが、濃いものではない。

樹林帯を行くため鷹は見えない。しかし、ミズナラの木が大きな枝ごとはぎ取られ、実が全て無くなっている所が2箇所程あった。

熊の仕業であろう。大勢で歩いているため恐怖は感じないものの、1人だと怖いと思われる。

途中で下呂からの登山道と合流し、11時半頃山頂へ到着。
山頂は見晴らしが良く、御嶽山が見える。山頂がほんの僅かであるが確認できた。

ここで観察会の続きを行う。20分くらい待ったが、なかなか現れない。

ようやくクマタカが現れた。かなり近く、観音峠で見たよりもかなり大きく見える。

間近かで見たのは1羽であったが、優雅な姿を近くで見ることができ感動した。
下山は往路を下ったが、途中、林道へ抜ける道があると別の登山者の方から聞いたのでそちらの道から降りる。

13時頃観音峠へ到着、鷹の観察へ何人もの方が来られている。

降りて来る20分くらい前に200羽の大群が来たと聞き、タイミングの悪さを嘆いた。鷹

の渡りの大群こそ見逃したが、何羽かの姿を確認できたこと、また、大塚先生のお話を聞けたことで、とても勉強になった。

[久田宗昌 記]
[日 時] 平成28年9月25日(日)
[場 所] 岐阜県下呂市森、同市小坂町大洞 境
[参加者] 藤田純江(L)、小林和雄、後藤 允、清水千恵子、白木貞次、白木しづゑ、下畑佐和子、竹中美幸、竹中佳美、長屋桂子、久田宗昌、藤井法道、村松哲彦、ゲスト 大塚之稔(日本野鳥の会岐阜代表)
[タイム] 道の駅平成7:20=下呂ふるさと歴史記念館9:00=観音峠9:30~10:00-下呂御前山11:30~12:30ー観音峠13:00=道の駅平成16:00(解散)
[地 図] 湯谷(飯田9-4)、宮地(飯田10-3)

7月自然観察会(自然保護委員会) 金草岳、冠山 平成26年7月4日(金)~6日(日 )

7月自然観察会(自然保護委員会) 金草岳(1227.14m 二等三角点)、冠山(1256.60m 三等三角点

「山の日」が8月11日に決まったこともあり,改めて「山に学び,山で楽しみ,山の自然環境を考える」ということで,岐阜県揖斐川源流の越美山地で自然観察会を実施しました。

4日は夕刻集合でしたので,夕食後、三角測量と地形図に示される三角点の基礎知識,尾根と谷の関係やピークおよび鞍部と等高線表示などを予習しました。

とくに,1/25000地形図の等高線が10m間隔であり,10m未満のピ-クは表示されないので,隠れピ-クとも呼ばれます。

また,気候や地形条件の違いが,生育する植物や植生に表現されていることを,スライドを通じて予習しました。

5日は冠山峠~檜尾峠~金草岳を往復する行程で,地形図の判読実習と植物の観察を行いました。稜線歩行の際には,①鞍部は下りの終点であり登りの始まりであること,ピークは登りの終点であり下りの始まりであること,②ピークのある箇所は等高線が閉じていること,③尾根はピークから派生し原則的には三つの尾根から出来上がっていること④隠れピ-クが地形図上にプロットされるとランドマ-クとして役立つこと等を確認しながら歩きました。

天候には恵まれましたが,湿度が高く無風状態でもあったため,檜尾峠までの樹林内のアップダウンには体温調節に意外とてこずりました。

檜尾峠以降の稜線では,蒸し暑いながら,時折流れる涼風と草原内の花々,そして釈迦嶺とそれにつづく徳山湖や徳山富士,さらには部子山ほか福井の山々の眺望に癒される観察会になりました。

宿泊場所の徳山会館に戻った後,会館支配人の差し入れの地酒と,料理長からの山菜の和え物ほかのもてなしを受け,徳山湖周縁の山談義に花を咲かせました。

6日は前夜の小雨も上がり、曇天ながら予定通りの観察会を始めました。

この日は,冠山峠~冠平~冠山を往復する行程で,地形図判読の復習と,開花期を迎えた植物の見分け方やブナ林を中心に,ブナ林が成立する場所や草原が分布する場所の環境条件を観察しました。

なお,地形図上では一つの尾根として表示されていても,実際は,多くの小ピークがあることを体感し,1/25000地形図では,10m未満のピークが隠れピークとして,図示されないことを確認しながら冠山に向かいました。

まさに,湿度が高い梅雨の合間の山行でしたが,雨が降ることもなく,ヤマビルやマイマイガの幼虫に悩まされることもない観察会でした。

今年は融雪時期が早かったものの,その後の低温が続いたため,花期が長く多くの樹の花・草の花が観察できました。

参集者それぞれの体力に合わせた行動がとれ,意義のある催しとなったようです。

以下に,両日に観察できた主な植物をあげておきます。

(オオナルコユリ・ササユリ・ニッコウキスゲ・コバイケイソウ他、全38種類-省略

[西條好廸 記]

[日 時] 平成26年7月4日(金)~6日(日 )

[場 所] 岐阜県揖斐郡揖斐川町塚、福井県今立郡池田町楡俣・田代 境

[参加者] 影山秀雄、後藤 允、西條好廸、白木貞次、鈴木寛人、高木基揚、藤井法道、影山千代子、清水友子、他1名

[地 図] 1/20万;岐阜   1/5万;冠山   1/2.5万;冠山、宅良

自然観察と自然保護活動、勉強会を行っています。

小津権現山 27年 6月28日(日) 諸事情により中止になりました

第2回・権現の森づくり 平成29年4月30日(日) 

平成29年度 第2回・権現の森づくり報告(日本山岳会岐阜支部)
(通算201回) 支部長 高木基揚

 

平成29年4月30日(日) 天候 快晴 気温午後13時20度C
(第1回)参加者
高木基・藤井法・岡田清・山田昌・浅野勝・神山敬・山内(大垣山協) 7名

近況報告
1. 3月5日(竹中佳・藤井法)、事前調査を行うべく林道を使い植栽地への進入を試みたが、落石が多いのと、林道中腹で残雪が道路を塞いでいた為調査を断念した。
よって、4月9(日)の第1回作業を中止をした。
2. 4月19日(竹中佳・神山敬)、2回目の事前調査を行った。
落石を除けながら、一部雪を削り登山口まで入れた。
防獣ネットの落下個所多数有り。
苗木の防護柵が(雪で)潰されていた為、苗木を起こし補修した。
枯れたブナ爺の枝が落下して、苗木や登山道に散乱していた。(登山者へ
の頭上注意を促す必要性を感じた)
3. 前回の作業日が、積雪のため中止となったため、本日が初作業日となった。
4. 植栽地は芽吹きが始まったところ。タムシバの花が満開。イワウチワはそろそろ終盤か。バイカオウレンは跡形もなし。

作業報告
1. 雪の為防獣ネットが落ちてしまっているので、終日これを補修、完了した。

2. 山頂まで登山道を点検した。
根こそぎ倒れた木が登山道を塞いでいた。
山頂付近の笹が登山道に覆い被さっていた。
トラバース部の危険個所があり対応の必要あり。

記録者 神山敬三

次回作業予定日 5月13日(土)
次々回作業予定日 5月21日(日)植樹祭を行います。
防獣ネットの落下状況
イワウチワ
能郷白山

第15回 権現の森林づくり 11月23日(水、祝)

第15回 11月23日(水、祝)

天気:曇り  参加者:JAC2名
小屋じまいをした後でしたが、雪のくる前に気になる個所の点検に出かけました。

登山道入り口付近の補修整備及び防獣ネットの総点検と出入り口の改良を行いました。

登山者の行き来がスムーズに行えるよう、防獣ネットの出入り口を簡素にしました。

第14回 権現の森林づくり 11月12日(土) 

第14回 11月12日(土)

天気:晴れ  参加者:JAC12名+他1名
今日は今年最後の作業で、小屋じまいと恒例の芋煮会です。

今年も多くの方に参加していただき、有難いことです。
苗木110本の仮置き、ドングリの種蒔き養生、防獣ネットの点検整備、のぼり旗の撤収等の作業を行いました。

その後全員でテーブルを囲み食事と談笑で一年間の労をねぎらいました。

 

▲恒例の芋煮会の風景

最後に色々な資材を道具小屋にしまい、小屋じまいと苗木等の冬支度を完了、来年春までの越冬となります。

山岳講演会  [演 題]  黒部横断2014 - 十字峡を越えて八ツ峰へ -  [講 師]  立山ガイド協会会長  上田 幸雄 氏 (平成28年11月11日 講演)

山岳講演会

 [演 題]  黒部横断2014 - 十字峡を越えて八ツ峰へ -
 [講 師]  立山ガイド協会会長  上田 幸雄 氏

支部長挨拶と講師紹介
皆さんこんばんは。日本山岳会岐阜支部の支部長をしています高木です。今年で43回目となりますが、これから山岳講演会を始めます。昨年は飛騨方面の岐阜県警山岳警備隊の話でしたが、今回は上田幸雄さんをお迎えして「黒部横断2014」というタイトルでお話ししていただきます。
日本山岳会では毎年「山岳」という本を発行し会員に配布しています。その15年度版にこの記録が載っていまして、すごいなと感心しました。それで富山支部の山田支部長に電話して上田さんを紹介してもらいまして、今回の講演となったわけです。
上田幸雄さんは1967年愛媛県のお生まれで49歳、まだまだお若い方です。職業は日本山岳ガイド協会認定の山岳ガイドで、立山ガイド協会に所属しています。
略歴ですが、高校までは登山に関係のない生活を送ってきました。北海道の帯広畜産大学に進んで山岳部に入り、4年間北海道の山に通ったということです。その後、富山県に移り住んで、地元の山を中心に登山活動を続けてきました。中でも剱岳を核とした黒部横断に魅力を感じ、年末年始を中心に長期登山を行ってきました。
これまでの主な長期登山としては、立山~槍ヶ岳単独行、硫黄尾根~槍ヶ岳~北鎌尾根単独行、鹿島槍~十字峡~源次郎尾根、扇沢~針ノ木峠~平の渡し~ザラ峠~千寿ヶ原を14時間でスキー横断、扇沢~黒部別山第一尾根~立山、ブナ立尾根~水晶岳~上ノ廊下横断など幾多の厳冬期の登山をしてこられました。それでは、厳冬期の風雪やラッセルのことなどお話ししていただきます。

上田幸雄氏の講演
皆様はじめまして、よろしくお願いします。上田といいます(拍手)。こんな大勢の人の前で話すのは何年かに1回ということで、非常に緊張しています。口も上手く回らず聞きにくいこともあると思いますが、1時間半の間よろしくお願いします。
私の略歴については先ほど高木支部長が話された通りですが、ガイドとしては5、6年しか経験がありません。それまでは会社で働きながら山に登っていて、25歳頃から黒部横断に取り組みました。何がきっかけだったかというと、和田城志さんという登山家がおり、和田さんが書かれた文章を読んで、地元の劔岳がすごい山だということを知り、僕も和田さんのような登山をしたいと思い取り組んだのです。今、49歳ですから25年程取り組んでいて、実際に横断したのは12、3回くらいですから、大体2年に1回の割合です。
今回お話しするのは、2014年の年末に行った横断です。ざっと大体のコースを説明しますと、大町の日向山ゲートから歩き始め、扇沢から岩小屋沢岳の新越尾根を登ります。岩小屋沢岳の北西尾根を十字峡に向けて下り、十字峡で黒部川の本流を渡ります。その後、黒部別山北尾根を登り、劔沢に降りて、八ツ峰Ⅰ峰のⅢ稜に取り付きます。そして八ツ峰を縦走して劔岳に登り早月尾根を馬場島に降りました。メンバーは澤田実、成田賢二、中島健郎、そして私・上田幸雄の4人、私が最年長です。この時の計画は実働14日間、予備日10日間、合計24日間でしたが、実際は12月19日から29日までの11日間で登っています。

日向山ゲートを35㎏前後の荷物を担いで出発しました。新越尾根は雪が締まっていてほとんどラッセルが無く、アッという間に岩小屋沢岳の頂上に着きました。本来なら後立山の稜線に出ると正面に劔岳がバーンと見えて、何て遠いのだろうと絶望的な気分になるのですけれど、今回は幸いなことにガスっていて見えませんでした。
その先、岩小屋沢岳の長い北西尾根を下っていきます。正面に2000mちょっとの黒部別山が立ちはだかり、その間に黒部川が急激に切れ込んでいます。黒部別山の裏側に劔沢が食い込んでいて、その向こうに劔岳があります。劔沢の奥には劔沢大滝という幻の大滝があるのですけれど、僕は見たことがありません。北西尾根の末端は鋭く切れ落ちていて、その真下に十字峡があります。

テント生活の話をしますが、今回は本体+外張りと二重にしています。シングルで使っている人もいますが、保温性とかを考えると多少重くてもやはりダブルウォールにして使うようにしています。自然破壊と言われると困るのですが、樹木がある所では雪をならした後に木の枝葉を敷き詰め、その上にテントを張ります。そうすると断熱効果があります。皆さんも経験があると思いますが、雪の上で生活しているとどうしても真ん中がへこんでくるのですね。こういう所では出来るだけ快適に生活出来るように工夫しています。ノコギリは必携です。藪がひどい所では荷物が引っかからないように、先頭は邪魔になる枝を切り払いながら進みます。
冬山を始めた学生の頃は、テントの中でアウター(ナイロンヤッケ)は着っぱなしでいました。先輩達がそのままでいたので、考えなしに着ていたのですが、テントの中でストーブを焚いても濡れたアウターは全く乾かないのですよね。燃料が有り余るほど有れば別ですが、そんな余裕はありません。濡れたアウターは翌日の行動の時になると凍るのですから脱いでしまいます。薄着になり肌着を乾かしてから、ミッドウェアを着ています。
もう一つテント生活の話をしますと、ナルゲンという水のポリタンクを持っていきます。折りたためて小さくなるものでプラティパスもありますが、何故ナルゲンの方がいいか分かりますか? 男性だったら分かるということで、その先は言いません(笑)。

話を戻しまして、北西尾根の末端に来ました。尾根の末端は急に落ち込んでいますので、懸垂下降をすることになります。60mのロープを使っていますが、2本繋いで使うと結び目が藪に引っかかったりして回収出来なくなる可能性があるので、1本のロープを半分に折り返して30mで使っています。最後だけは、どうしてもアンカーがとれなかったので60m一発で降りています。荷物が重いので、担いだままで懸垂すると身体が後ろに持って行かれてしまいます。それで荷物の重さも下降器に加重されるシステムにして降りています。
雪稜の懸垂下降でアンカーがない場合は、土嚢袋に雪を入れそれを埋めてアンカーにします。消防団とかで使っている砂を入れたりする土嚢袋ですが、60㎝×90㎝くらいのちょっと厚めで大きいものを1人1枚くらいずつ持って行きます。それはテントの中で荷物を整理するときにも使いますし、水を作るための雪を入れておくとか色々使えます。
この時期は十字峡の200m上流にスノーブリッジが出来て、本流を渡れるのです。何年か前にここを通った僕の友人から「ここにスノーブリッジが出来るから渡渉しないで渡れるよ」と聞いていたので、今回このポイントを選んだのです。けれど懸垂を始めた時は下が全く見えません。大分降りてからやっと見えてくるので、降り始めのポイントを間違えると、そこに降りられなくなります。すると登り返すという事態になるのですが、今回は見事にピンポイントでスノーブリッジに降り立つことが出来ました。
スノーブリッジを渡って反対側の斜面を登ります。この日は雪が降っていたので上からチリ雪崩がドンドン落ちてきます。けれどそこで怯んでいては家に帰れなくなりますから、登るしかありません。かまわず登って行きますが、雪もドンドン降ってすぐ積もってしまうので、あまり長く居たくない所でした。
悪場を登り終えて一安心して、雪の十字峡を見に行きましたが、やはりすごい所ですね。左から劔沢が入ってきて、 (撮影 中島健郎氏)
向かい合って右から棒小屋沢が本流に入っています。左側の劔沢に架かっている吊り橋は雪が2mくらい積もっています。棒小屋沢の向こうに鹿島槍からの牛首尾根が降りてきて、2~3月になると本流にスノーブリッジが出来て渡れるのですが、この時期は出来ていません。
皆さんご存知だと思いますが、佐藤祐介達は敢えてスノーブリッジが出来ない時期とか出来ない場所とかで渡渉しています。一応カッパとかを着ているそうですが、全裸になって腰や胸までつかって本流を渡渉しています。衣類は防水のスタックザックに詰めて反対側に渡ります。そしてロープで衣類を引き寄せ着替える、ということらしいのです。

次の日から怒濤のラッセルが始まりました。十字峡までは大したことなかったのですが、この先は頭の上まで雪があります。傾斜の影響もありますが、平坦な所でも胸まではあります。そうして黒部別山の北尾根を登り、北峰に近付きました。このあたりまで来ると黒部ダムが見えます。ということは携帯電話が通じるということなのです。十字峡の辺りは電波は全然通じません。

ラッセルの話をしますと、1人目・2人目はただラッセルするだけです。3人目くらいから足場となる雪が固まってきます。荷物を置いてラッセルしてロープを張って、また戻って荷物を担ぐという作業を延々と繰り返します。澤田さんは黒部横断は水平のビッグウォールだと表現しました。面白いなと思いました。派手さは無くただただ忍耐です。泥臭い、雪の上ですから泥は無いのですが(笑)、泥臭い登山です。
ちょっと疲れてきました。どなたか質問有りませんか?

Q;食糧は主に何を食べていますか?
A;そうですね、基本はアルファ米です。大体1人1日300gにしています。朝150g・夜150 gと2回に分けて食べます。それに味付けにふりかけとかスープ類みそ汁等ですね。スペ シャル的な感じではペミカンです。昔はラードでコテコテに固めていましたけれど、今は 普通にジャガイモとかニンジンと一緒に炒めています。それをおにぎりみたいにして持っ ていき、鍋にぶち込んでカレーとかで食べます。
やはり、お腹が一杯にならないと動けないし、食事がまずいと楽しみが無いのですね。 2週間くらい山にいると、我慢だけじゃすまない部分というのがあるので、出来るだけお 腹が満たされるだけの量を持っていくことにしています。最近では真空パックのチャーシ ューとかベーコンとかの肉の塊を持っていくとかしています。
昔、お酒は持って行きませんでした。酒持っていくなら米持っていけ、という考えだっ たのです。実は酒は好きで、飲むと暴れるので気をつけて下さい(笑)。ここ何年かは酒も 持って行ってます。当然最後までは無いのですけれど、少し楽しみがあるとテント生活も 豊かになります。

というところで、いきなり劔沢まで降りて来ました。劔沢を渡ります。夏は橋が架かっていますし、もう少し雪が降ると劔沢の本流も雪で埋まってしまうのです。これから八ツ峰のⅢ稜に取り付きます。八ツ峰は普通に登っても末端から4,5日くらいかかるのです。僕は八ツ峰を登るのは2回目で、前回は20年ほど前ですけれど、凄く天気に恵まれてラッセルがほとんど無く、Ⅳ稜から頂上まで4日かかりました。今回の天候とか雪の状態だとそれ以上かかるかなという話をしていました。
八ツ峰はその後に2回計画したのですが、先の天気が悪い予報だったので突っ込まずに逃げて、立山の方へ登る眞砂尾根という簡単な尾根を登って帰ってきました。今は携帯で天気予報が分かります。ラジオは昔からありましたが、情報量が違います。外れることもありますが、気象庁などの予報はある程度正確です。
けれど、それにあまり頼りすぎると、天気が悪いから止めようかということになってしまう。そこが難しいところです。折角休みをとって、食糧は10日分も予備を持って、重い荷物を背負ってここまで来たのです。何の為にここまで来たのだという思いがあるので、今回は逃げないで行ってみようという気持ちでした。取り付く前の予報では明後日から2日間くらいは良いということだったので、それを信じて取り付くことにしました。
天気は期待通り良くなってきたのだけど、目の高さまでのラッセルが続き、なかなか進まないのです。ただ、良かったのは4人という人数です。これまで大体3人が多かったのですが、今回は4人という人間が揃ったということで、ラッセルの負担も減ったしそれなりにスピードもあがったということです。

八ツ峰は劔岳北方稜線の「八ツ峰の頭」から別れ、順にⅧ峰からⅦ、Ⅵ、Ⅴ、Ⅳ、Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ峰と降りてきます。末端のⅠ峰でも2500mくらい有り、写真を見れば分かりますが、木など一本も立っていないのです。Ⅰ峰から劔沢に向かってⅠ稜Ⅱ稜Ⅲ稜Ⅳ稜と枝尾根が出ていて、そのⅢ稜に僕達は取り付きました。
取り付いた次の日の昼過ぎにⅠ峰に到着しました。登る時はアンザイレンで皆繋がっています。ロープの末端はどうなっているかという疑問を持たれた方もいると思いますが、実は末端はザックに括り付けているだけなのです。雪に穴を掘ってアンカーとったりする時間が無いので、ラストのザックに括り付けてアンカー代わりにして、皆ロープに繋がっています。何かあったら反対側に落ちるという方式で登っているのです。一蓮托生というやつですね。
Ⅰ峰から振り返ると、延々とラッセルの跡がついています。自分達がつけたトレースしか無い。良く頑張ったなと思います。それを見るのが冬山の醍醐味ですね。振り返って、あぁまだこれだけしか登っていないとガッカリすることもあります。昼頃になっても昨晩のテントの跡が見えて、たった数百mしか登っていない。「絶望感」、これがいいのです。
この日から翌日は素晴らしい天候で、周囲の山は全て見えます。1週間以上かけて苦労して登ってきたけれど、これだけの景色を見ることが出来れば、それだけの価値はあります。
Ⅰ峰から本来なら次にⅡ峰へ登るのですけれど、かなり鋭いナイフリッジになっていて非常に時間がかかることが予想されました。それでⅡ峰はトラバースすることにしました。雪崩れてもおかしくない斜面ですが、安定していると判断して入りました。皆ロープ     (撮影 中島健郎氏)
に繋がっていますが、全く意味が無いですね(笑)。結局Ⅱ峰は巻いちゃいました。

Q;雪崩は大丈夫だと判断した根拠は何でしょうか?
A;Ⅰ峰へ取り付いてみて、雪を踏んだ時の感触ですね。それと1週間山に入っていたのだ から、その間の雪の降り方を知っています。それらを総合的に考え判断しています。

Q;写真を見ているだけでも怖くて仕方ないですね。
A;だから念のためにロープをつけているのです(笑)。
Q;八ツ峰にテント場の適地はあるのでしょうか?
A;夏でないので八ツ峰にテント場はありませんし、お金もいりません(笑)。というのは冗 談ですが、過去の記録から大体このあたりが適地だと分かっています。僕自身も1回登っ ているので大体の見当はつけていたのです。けれど、記録に残していれば別ですが、人間 の記憶というのは曖昧なものです。自分の都合のいいように考えているので、行ってみて アレッということが多いです。

一般的にテントの設営は現場判断のことが多いですね。時間と天候とかの兼ね合いです。その日の天候と次の日の天気予報によって行動をどうするか、それじゃ今日はこの辺で止めようかとか考えます。例えば次の日の天気が悪い予報の時、樹林帯の中の風の弱い所で安眠出来るように考えます。行動する時に条件が悪いのは仕方ないですけれど、テントで休む時は出来るだけ楽したいですからね。ただ八ツ峰に入っちゃえばそういうことも出来ませんから、運を天に任せるしかないのです。幸い今回は天候が良くて、僕たちは恵まれていました。
雪洞を掘れば風とか降雪の影響が少なくなります。ただ雪洞を掘るにしてもタイミング的にいい場所が無かったと思います。雪洞を掘るには時間がかかるし労力もかかる。ウェアも濡れるし大変なのです。だから雪洞は嫌だという人も多いのです。
雪洞の中は気温自体はそんなに低くはならないけれど、雪洞内で火を焚いても中の気温が上がらないので寒いのです。冷え冷えするのですね。だから僕たちは中でテントを張るという前提で雪洞を掘ります。4人用の雪洞なら2m×2mくらい掘れば何とか寝られるのですけれど、テントを張る場合、作業スペースなどもいるので、より大きく掘らなければなりません。高さも勿論そうです。そのかわり非常に快適です。風の影響も無く、テントの中でストーブを焚くと熱帯です。

八ツ峰もⅤ峰、Ⅴ・Ⅵのコル、Ⅵ峰と越えていきましたが、Ⅶ峰はかなりのナイフリッジになっています。それを越えてⅧ峰とのコルまで来ましたが、この先の悪天が予報されているので、とにかく早く下山しようというこになり、コルから降りて長次郎谷を登りました。そしてⅧ峰と八ツ峰の頭は巻いて池ノ谷乗越に出ました。ですから八ツ峰は完全には歩いていないことになりますが、すでにⅡ峰を巻いていますから、その時点で完全縦走ではなくなっていたのです。
そうして剱の頂上に着きましたが、まだ大きい荷物を担いでいます。予備日を入れて24日分の食糧を用意して、半分の日程も消化していない。順調に進んできているので食い減らしをしようと思うのですけれど、人間は不思議なもので少ない食糧になれてくると胃袋が小さくなってあまり食べられなくなるのです。 (撮影 中島健郎氏)
頂上に着いた時は夕暮れになっていました。富山湾の向こうに能登半島が連なっています。何処まで陸地なのだと思うほど延々と連なっています。
クリスマス頃に入った学生達のトレースも少しは残っていたので、その日のうちに早月小屋まで降りることにしました。当然夜になりますが、天気にも恵まれ富山平野の夜景を眺めながら降りるというナイスな夜でした。吹雪いているとヘッドランプではとうてい歩けません。そして次の日、麓に降り立ち、富山湾のベニズワイガニで祝杯を上げたのです。
以上で黒部横断の話を終わりますが、後は質問を受けたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

Q;雪山の醍醐味はラッセルだと思います。スノーストックを使っていると思いますが、具 体的に手順を教えてください。
A;そうですね、ストックも使っています。雪は足下に崩して踏み固める。踏み固めるには 余るほど量が多い時は、傾斜を利用して脇から下に流して落とします。とにかくトップは 前へ進む、それが仕事です。二人目がそれを固めて歩けるようにする。ラッセルの高さに よっても違いますが、目の高さほどの雪だとやはり二人がかりでやらないと難しいですね。

Q;時間的にトップはどれくらいで交代しますか?
A;年令に反比例します(笑)。というわけでもありませんが、やはりポイントというのがあ ります。それに、その人の体力とかザックを置く場所とかメンバーの位置関係のタイムラ グによっても変わります。
トップは自分の判断で替わりますが、実はトップが一番楽なのです。いや、二番目かな。 とにかく荷物を持っていないですから。荷物を持っているのが一番えらいですから、出来 るだけ空身で楽をしたいのです。それで、皆競ってトップを行きたがります。

Q;冬の劔では3日以上晴天が続くことはないと聞いていましたが、今日のお話や写真を見 れば、かなり天気は良さそうに感じました。このように良い時もあるのでしょうか? 最 近は気候も変わってきたように思いますが、実際の天気具合はどうだったのでしょうか?
A;基本的なことですが、天気の良い時しか写真を撮っていないので、そう感じられると思 います(笑)。というのは冗談ですが、確かに天候には恵まれていました。だから、停滞も なく10日間で抜けられたということです。昔の記録とかを読むと、気象条件など大分変わ ってきたなと思います。特にここ2、3年はそうですが、皆さんも最近の気候はおかしい なと感じていると思います。去年なんか全く雪が降らなかったですし。
以前は真冬の北アルプス、特に立山、劔、白馬あたりでは1週間降り続いて2mを越す 積雪というのは普通でしたね。最近は少なくなりました。僕の記録の中には一晩で1mも 積もりテントが潰れそうなので一晩中除雪していたというのが何回かありますが、今回は 50㎝積もったのが最高で、夜中に除雪することはありませんでした。

黒部ダムへ行く関電の黒部トンネルが冬季閉鎖されて15年くらいになると思いますが、 それ以前はトンネルを歩いて、ダムから直接対岸に取り付くことが出来ました。普通の社 会人のパーティでも10日位の休みをとれれば、八ツ峰とか源次郎とかをやれたのです。そ れで一冬に10パーティとかが入っていましたが、トンネルが閉鎖されて以降は一冬に1パ ーティかせいぜい2パーティしか入らなくなった。というか、入れなくなったのです。
気象の話に戻しますと、天気的に見ても山に登りやすくなっています。移動性高気圧が 来て晴れるという確率が増えてきたという気がします。

Q;ラッセルがほとんどのように思いましたが、アイゼンをつけた個所はありますか?
A;当然アイゼンもつけています。ラッセルはワカンがほとんどです。ただ、アイゼンとワ カンを併用することはありません。アイゼン、ワタンはそれぞれ単独で使っています。

Q;燃料は何を使っていますか?
A;25年前に始めた頃はガソリンストーブばかりでしたが、最近はガスストーブも併用して います。バックアップという意味ではないですけれど、故障した時のことも考えています。 それに、ガスは付けたり消したりする時使いやすいのです。

Q;夜のテント生活の楽しみであるアルコール類はどの程度持って行っていますか?
A;人によって違いますけど、僕は500mlか多くて1リッター程度ウィスキーや焼酎を持って 行ってます。

Q;皆さん、体重はどれくらい減りましたか?
A;よく聞かれるのですけど、ほとんど変わらないですね。前に話しましたが、1日にアル ファ米300g食べています。以前は200gにしていたので、腹が減って腹が減って。それで 大分減っていましたけど、今は大丈夫です。年と共に新陳代謝が低下していることもある かも知れません(笑)。

Q;最近は携帯電話が必需品ですが、寒いとバッテリーの消耗が激しいと思います。予備の バッテリーなどはどうされましたか?
A;携帯は日中は切っていて、夜テントの中で情報を集める時だけ電源を入れます。ですか らほとんど消耗しません。予備のバッテリーを1個持っていれば充分です。僕はガラ系を 使っていますが、スマホを使っている人も同じような状況でした。

Q;50年ほど前、十字峡の付近で黒部の本流をワイヤーでかごに乗って渡った記憶があるの ですが、今はどうなっていますか?
A;そういえば25年前最初に黒部に入った頃、鹿島槍の牛首尾根の末端から剱側へワイヤー が架かっていたと思います。今はありませんけれど。
Q;私は10日間も冬山に入ったことがないので一般的な質問をさせていただきますが、狭い テントの中で同じ仲間と何日も過ごす秘訣は何でしょうか? また、ラッセルが趣味だとお っしゃってましたが、ラッセルの醍醐味は何でしょうか?
A;テント生活をうまくやるコツはやはり我慢することですね(笑)。夫婦生活と一緒だと思 います(笑)。
ラッセルは確かに好きです。振り返って自分達の足跡しかないというのが醍醐味と言え ますね。冬山で他人のトレースを辿っても、半分も面白味が無いと思います。自分でラッ セルすることに価値があると思っています。

Q;食糧とか燃料とかはデポしないのですか?
A;昔はしていました。天候のこともあったし怖かったのですが、最近はしなくなりました。 デポするのはやはり反則だと思います。昔と較べてテントも軽くなった。装備も軽くなっ た。食糧も軽量化されている。そんな中でデポするというのは、人間として退化している ことじゃないですか。50キロの荷物をキスリングで担いでいた頃は仕方なかったと思いま すが、今は反則だと思います。
それと、一番の原因は面倒くさいのです(笑)。デポしに行くのも面倒だし、再デポした デポ缶を回収しに行く手間もいる。ということでデポはしていません。

時間が来ましたので、これで私の話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。(拍手)          (平成28年11月11日 講演)