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12月例会山行 蕪山(1068.8m二等三角点)

蕪山に登るには、株杉背後の尾根の登山道を使うのが一般的であるが、以前は奥牧谷を詰めて登っていた。しかし現在この谷道が使われることは少なく、道も消えがちである。今回はこの谷を登り、一般コースを登る隊と山頂で合流しようと企画した。


運動公園登山口を全員で出発、株杉の奥の登山口でB班一般コースを見送り、A班は林道終点まで行き奥牧谷を右岸に渡渉する。前半はこの谷の右岸沿いに道がある。昨今の気象事情で倒木や崩壊、これに枯れ枝と落ち葉に埋もれがちなルートを見失わなよう進むと、1時間程で滝の下に出る。

一服の後右岸を高巻し滝の上を渡り、ひと登りで右の尾根に乗る。この尾根の右の谷に入る。この谷は山頂東に突き上げてる。この先は更に道があやふやになるが、新人の2人を先頭にして道探しを経験してもらう。この時期、自然林の葉は全て落ち道は隠れるが、見通しがきく。杉の鬱蒼とした中を抜け谷芯を抜けると、やや広い右岸側の傾斜地に出る。ここから上は勾配がきつく、崩れやすい岩屑の斜面で登山道は無くなっている。取付きの赤布から見当をつけしゃにむに手足を使い頑張っていると、微かな道型に行きあたる。とても道とは言えない痕跡だが随分と歩き易くなり、しばらくで山頂直下の登山道に出た。

山頂では既にB班が着いており、縄田さんに準備して頂いた鍋パーティーが始まる。何度かお代わりし美味しくいただいた。


下山は、AB班ともに一般コースを取る。

A班は株杉を見たいとの声にそちらを回って下った。
[神山敬三 記]
[日 時] 2019年12月1日(日)
[場 所] 関市板取
[参加者] A班;神山敬三(CL)、竹中美幸(A-SL)、小林和雄、馬淵等、菊井ひとみ、佐々木美代子
B班:後藤充(B-L)、竹中佳美(B-SL)、杉山美智子、縄田さかゑ、林靖子、三宅一正
計12名
[タイム] 板取運動公園登山口8:50-山頂11:30(11:45)~12:45-登山口14:45
[地 図]2.5万図「上ケ

清掃登山 百々ケ峰 12月15日

清掃登山 百々ケ峰 12月15日(日)

受付をしています。

一般参加の方が2名、新聞を見て参加されたようです。

山岳会からは16名の方が駆けつけてくれました。

関係者を含めて合計22名参加でした。

3班に分かれてごみ拾いしました。

私のチームは3名でした。(人気がない)

さすがにごみは少ないです。

展望台からとってもらいました

メンバーは1名写っていません。

舗装道を全員で下り、ごみ拾いは終了

解散の挨拶

集まったごみはこれだけありました。

山頂、途中で出会った方に声掛けをして入会を勧めました。

こういう時にパンフレットは必要です。

山城シリーズ 織田信長、豊臣秀吉と石田三成ゆかりの城

山城シリーズ
織田信長、豊臣秀吉と石田三成ゆかりの城
11月17日天気よし、6時45分美濃国分寺集合、15名、車4台に分乗出発、目指すは観音寺(長浜市旭町)、ここへ車1台デポし、裏側の茶臼山古墳登山口(長浜市垣籠町)へ、ここから少し登ると、姉川の戦い(1570年)で浅井長政と対峙した信長の陣跡(147.6m)へ着く、ここからは姉川を挟んで浅井長政の城、小谷城があった小谷山が見える、ここから更に登ると311.9m三等三角点のある横山城址へ、ここは姉川の戦いにおいて信長に攻め落とされ、秀吉が城番となった城。ここからの眺望は東に伊吹山、西に琵琶湖、北に小谷山が一望、ここを後にいくつもの曲輪跡を抜けて、最初に来た観音寺へ下山、この寺は石田光成が小僧をしていた時、秀吉が鷹狩で立ち寄った折、光成がお茶を出して、秀吉に認められたといういわれのあるところ、立派な寺院でした、11時半ここで昼食。
デポした車を取りに行って、すぐ近くにある石田三成の屋敷跡を見学、立派な銅像と碑があった。
次に彦根市へ向けて車を走らせ、到着したのが井伊家の菩提寺の一つ龍譚寺、ここの庭を抜けて佐和山城趾232.6mへ登ると、広々とした平地にたどり着く、ここは信長が安土桃山城を築城するまでの居城としていた城、その後秀吉、光成へと受け継がれた、ここからは彦根市街、彦根城が一望できる。
14時龍譚寺に下山、ここで解散、帰路につく、全員無事に帰還、楽しい一日でした。案内、解説をして下さった藤井法道さんに感謝です。
〔日 時〕平成元年11月17日(日)晴れ
〔場 所〕滋賀県長浜市・彦根市
〔参加者〕藤井法道(CL)、高木基揚(SL)、後藤允(SL)、小島孝子、琴尾泰典、下畑佐和子、清水友子、杉山美智子、竹中美幸、竹中佳美、野田紀子、民田勇、三宅一正、矢口重治、渡部慶洋                計15名
〔タイム〕美濃国分寺6:45~観音寺7:30~茶臼山登山口8:00~織田信長陣跡8:30~横山城址9:00~観音寺下山11:00昼食12:30~彦根市龍譚寺13:00~佐和山城13:30~龍譚寺下山14:00~美濃国分寺15:0
〔地図〕

奥大日岳(2606m)、中大日岳(2500m)、大日岳(2498m)

奥大日岳(2606m)、中大日岳(2500m)、大日岳(2498m)

山行日  令和元年11月1日(金)~2日(土)
メンバー 水谷嘉宏
山行内容
厳冬期の立山(立山駅から山スキー利用)の下見という下心もあって、称名滝駐車場から八郎坂を登り、弥陀ヶ原、天狗平、室堂平と辿って雷鳥沢野営場にテント泊。翌日は大日三山を縦走して駐車場に戻るという計画で出発する。
平日なので駐車場は閑散としている。8時に行動開始。登山口手前で地元のご婦人から「八郎坂は崩落のため通行止めのはず」と声を掛けられる。柵が設置されているが「行けるところまでは」という思いで八郎坂に取付く。称名滝を眺めながら標高を稼ぐ。かなり上部まで上がるとそれらしき崩壊がある。登山道の脇が崩れているが道に被害はない。難なく通過しアルペンルートの脇に出る。弘法で車道を横断、ひたすら木道を辿る。追分の分岐で誤って松尾峠方面に向かってしまい10分ほどロスする。弥陀ヶ原から天狗平までは旧道を辿る。天狗平山荘の脇で休憩していると雨が降り出し、カッパを着用。ガスで視界が悪くなり気が滅入ってくる。室堂ターミナル内の登山指導所に計画書を提出しなければならないので、雨宿りを兼ねて中へ入る。予め作ってきた計画書を提出すると「野営場のトイレと水場は昨日までで閉鎖」とのこと。わかってはいたが「携帯トイレを使って下さい」との言葉を無視し、さらには霙が降る中での野営は厳しい。時刻は14時を少し過ぎたところなので即下山することも不可能ではない。散々逡巡して明日の天気に期待して雷鳥荘に素泊まりを決める。この日の天候は予報どおりだったので、最初から小屋泊で計画していれば寝袋もテントも持ち上げる必要はなかったのにと少々後悔する。
二日目、5時半過ぎに雷鳥荘を出発する。全然寒くない。暗闇を通して立山三山と浄土岳が雪化粧しているのがわかる。対して大日三山に積雪はない。スタート直後に雷鳥の鳴き声と飛翔を目の当たりにして幸先がよい。無風快晴の中を新室堂乗越、室堂乗越、奥大日岳、中大日岳、大日岳と辿る。行き違う者もなく、独り占めの縦走路を快調に進む。大日平山荘への下りにかかると大日岳を日帰りピストンすると思われる登山者が次々登ってくる。大雪山系のような広大な平原が広がり、大日平山荘の前後は木道が延々と敷かれている。牛首で木道が終わるとそこから先は激急降下。紅葉が見ごろを迎え、観光客で混雑する大日岳登山道入り口に13時に降り立つ。
延々と木道を歩きます。気を抜くとスリップします。「一歩一歩確実に歩く」という意味で2週前に行ってきた下の廊下のトレーニングに適当なコースと言えそうです。

浄土山(2831m)と下の廊下

浄土山(2831m)と下の廊下

山行日  令和元年10月20日(日)~22日(火
メンバー 今峰正利、小林和雄、水谷嘉宏
山行内容
5名で計画したが台風19号の上陸に伴い一週間延期したため3名で入山する。
立山駅は雨模様。しかし室堂まで上がるうちに天候は回復。三人とも立山は登頂しているので浄土山を経由して一ノ越から初日の宿泊地であるロッジくろよんへ向かう。東一の越までは良く踏まれた道だが、その先は荒れて歩きにくい。途中から小林さんが膝の不調を訴えて遅れる。テン場はほぼ満杯。樹林の中の快適なエリアである。
二日目は暗いうちに出発。小林さんは黒部ダムから川底まで下降したところで断念。室堂に戻り、車を宇奈月温泉に回送してもらうことになる。対岸の鳴沢を過ぎるあたりから険悪になってくる。

道は迷いようもないが、丸太桟橋はスリップの危険性もあり気が抜けない。壁を穿った道には手摺代わりの太い番線が通してあるため、左手を番線に軽く添えながら足を運ぶ。黒部別山谷出合の手前では丸太梯子で大きく高巻く。(この梯子は翌日の落石で破壊されたとのこと)この辺りが一番の難所と思われるが、そのすぐ先で今峰さんが谷底に転落している登山者を発見する。直後に現場に残っていた女性が、岳連講習会で私の顔と名前を憶えていて声をかけてきた。

事故から一時間ほど経っていて、リーダーほかが小屋へ通報に向かったとのこと。ロープなどを持参していったが、結論として現場でできることはなかった。
15分ほど留まり先に向かう。黒部別山谷出合を過ぎた先で救助ヘリの飛来を確認。黒部ダム方面に向かった登山者の携帯電話の通報を受けたと下山後に知る。十字峡の広場には登山者が10人ほど休んでいる。十字を眺められる岩場までは急斜面を降りなければならないが一見の価値あり。仙人ダムの手前で長い吊橋を右岸へ渡り、ダムの天端を歩いて左岸に戻る。阿曽原小屋は近いが、その先の登り返しと小屋への下降が踏ん張りどころである。


最終日は夜半から雨。暗いうちにカッパを着て歩き始める。あちこちでシャワーのように雨水が壁を滴っており、降雨中はもちろん降雨直後もカッパは必要。志合谷の素掘りトンネルは水が溜まっており何とかしてもらいたい。雨宿りに使えるトンネルもあるが、この頃には雨もあがる。最後は欅平の駅舎まで急斜面を一気に下る。疲労の溜まった膝に、最後の頑張りを強いられる。濡れた体にトロッコ列車の一時間は長く感じたが、宇奈月駅前で日差しを感じながら小林さんを待つ間にすっかり乾いてしまった。
技術を要求される箇所はありませんが、気の緩み、躓き、スリップは死に直結します。体力は当然として、小さく軽い装備で歩けば楽しめるでしょ