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岩登り講習会 金華山・岩戸 11月2日(日)
登山技術研修
今回は前回の続編ということで、確保と懸垂下降を研修した。内容は、ハーネスのつけ方、カラビナの特徴(クライミングのHMS型の理由)、補助ロープに必要な太さ(7㎜以上)、基本的な支点の取り方、クローブヒッチ、セルフビレイ、メインロープのアンカーのとり方等から始め、確保訓練を行った。特に墜落者を確保するとき、確保者が壁にぶつからないための足の位置やセルフビレイの支点位置、ハーネスにかけるカラビナの順番、アンカーにとったスリングと確保者の距離など実際に経験してみなければわからないことを学んだ。タイヤを落としての確保訓練は、強い墜落衝撃力は得られなかったが、参加者は皆始めてということで、確保とはこういうものかという体験はできた。
確保訓練の次に懸垂下降の訓練を行った。懸垂下降は、現在では突風など突然の事態にそなえてオートブロックでバックアップをとるとのことであった。セルフビレイ、確保器のセット、オートブロックの確認、セルフビレイの解除と懸垂下降への第一歩といった一連の流れに皆手間取っていた。天候も悪く時間 ▲懸垂下降の訓練
が限られていたので懸垂下降は一回ずつしかできなかった。
各自、ロープの結び方など平時に出来るものは確実に出来るよう練習しておく必要があるだろう。今後例会山行などでも、ロープの結び方を確認したり、出来る場所では懸垂下降も実施していきたいと考えていますので準備をしておいてください。 [那須哲郎 記]
[日 時] 平成26年11月2日(日) 9時~14時
[場 所] 岐阜市金華山南 岩戸南壁
[参加者] 白木貞次、塚原考司、横田昭夫(以上講師)
今峰正利、加藤義弘、鈴木寛人、竹中美幸、竹中佳美、那須哲郎、和田裕子
人形山(1726m 三角点なし)、三ヶ辻山(1764.3m 二等三角点)
五支部合同懇親山行
人形山(1726m 三角点なし)、三ヶ辻山(1764.3m 二等三角点)
地図を見ていたら「マルツンボリ山」という面白い山名の山を見つけた。ネットで検索しても積雪期の登山ばかりで、無積雪期は1件しかなかった。2.5万地形図には近くまで林道が記載されているけれど、違う林道を使って登っているようだ。詳細を富山支部長の山田さんに尋ねたら、地元で中根山荘を経営している山崎さんが案内してくれるという。「私も同行する」というので、懇親会の前山として登ることにした。
10時前に上梨の村上家の駐車場で両名と待合せて出発。人形山ルートの途中から左に折れ、林道を登る。道は荒れていないが両側から草が生い茂ってヒヤヒヤものである。峠を越えて古い小屋の前で右折し、林道を上り詰めた。谷筋の真新しい切開きを辿るがすぐに終わった。鎌で伐開しながらの登りで意外と時間を要する。4m程の急斜面に当たり迂回したが、濡れて足場が悪くザイルで引き上げる事態であった。谷筋は水は流れていないがかなりの急登で、五支部の会合の時間が気になる。支部長の山田さんも同様のようだ。谷筋を登詰めクマザサ帯に入ると下方の堀さんから「時間だから引き返すぞ!」の催促。クマザサと杉で見通しの悪い三角点にタッチ、すぐに引き返す。見出し標が崩れかけていた。
今日の会場である五箇山荘に戻り、城端山岳会会員で富山県桜守の会会長等色々な会を主催している小原耕造氏の「自然に生かされて」の講演を聴講する。富山県は呉羽山を境に呉東、呉西と呼ばれ、地形、気候植生、産業等が違う。立山杉の葉は握っても痛くない等色々な項目で話された。 ▲翌日朝、出発前に五箇山荘前で参加者全員の記念写真
ところが、その日の正午前に御岳山が噴火。皆、講演の合間も落ち着かず、途中で抜け出してテレビの報道に見入っていた。けれど、あれだけの大惨事になっているとは思わず、懇親会は久しぶりに会う仲間と遅くまで賑わった。
翌日は曇り空の下、中根平まで車で登り点呼。10名ほどのグループに編成され富山支部の方が2名前後を固めて出発。トランシーバーで連絡を取り合い行動を確認していた。杉林から広葉樹林に変ると第二休憩所。左方を切られているが富山県内最大のドウダンツツジに会う。そして背の低い潅木帯になると宮屋敷跡に着いた。晴れていれば360度の絶景が見られるようだが生憎雲が垂れ込めままならぬ。秋色に染まり始めた潅木が続く道は平坦になり梯子坂に差し掛かると、地元の青年が刈払い機を担いで登ってきた。山開き前と秋に刈払いをやっているとのこと。
人形山山行一番の急登をして梯子坂乗越にでる。ここで人形山に行く本隊と別れ、岐阜支部の3名は三ケ辻山に向かう。分かれてからは黒檜の倒木を乗り越える荒れた道でその先の状況が心配だったが、それはすぐに終わり意外としっかりした道が続いている。ガスが流れ太陽が顔を出すと黄色と赤の草もみじの美しさに驚嘆する。その先に三ケ辻山が聳えている。尾根より左側に着けられた道は途中に崩落の箇所もあったが、それ程危 ▲三ヶ辻山の草紅葉
険でもなく順調に高度を上げて行く。頂上は背の低い潅木で覆われ、三角点を中心に広場になっていた。この場所は正確には岐阜県白川村だけれど、俺らが村の山だと旧富山県利賀村の丈の低い標柱が立っていた。 [今峰正利 記]
[日 時] 平成26年9月27日(土)、28日(日)
[場 所] 27日 富山県南砺市田向333-1 「五箇山荘」
28日 富山県南砺市田向、岐阜県大野郡白川村芦倉 境
[参加者] マルツンボリ山 今峰正利、杉山美智子、野村百合子、堀義博、富山支部2名 懇親会 上記4名、池田真由美、小田幸江、影山英雄、影山千代子、
早田道治、廣瀬 正(岐阜支部関係者のみ、総勢50名)
三ヶ辻山 今峰正利、杉山美智子、堀 義博
人形山 池田真由美、小田幸江、
[タイム] 27日 村上家駐車場9:50=林道終点10:30~10:35-マルツンボリ山13:15-林道 終点14:35=五箇山荘15:25(泊)
28日 五箇山荘7:05=登山口7:35~7:55-第二休憩点9:35~9:40-宮屋敷10:15 ~10:25-梯子坂乗越11:10~11:15-三ヶ辻山11:50~12:00-梯子坂乗越 12:35-宮屋敷13:15~13:30-第二休憩点13:50-登山口15:00(解散)
[地 図] 1/20万;金沢 1/5万;下梨、白川村 1/2.5万;上梨、鳩谷
自然観察会(自
9月バリエーション山行 寺 地 山 (1996.0m 三等三角点)
9月バリエーション山行
寺 地 山 (1996.0m 三等三角点)
朝5時、岐阜県庁東駐車場に集合、参加者は高木支部長と久田の2名である。車で出発して神岡へ向かう。天気は曇時々晴の予報であったが、車を進めるとともに、曇り、晴、曇りと天気が刻々と変化していく。8時、飛越新道登山口の駐車場に到着。既に駐車場にはかなりの車が止まっており、一番北側にスペースを見つけて駐車する。
8時20分出発。登り出すと最初から急坂が続き、どんどんと高度を上げていく。急坂のためかすぐに汗をかく。空は快晴。尾根に出たところで1度目 ▲寺地山頂上で。三角点は少し西側
の休憩をとり、県境尾根を登っていく。広い尾根でブナ、檜の林が続いている。所々リンドウの花が咲いており、目を楽しませてくれる。ただこの登山道は所々ぬかるみがあり、足元の油断はできない。1時間ほど登ると神岡新道との分岐、ここで暫く休憩。
神岡新道分岐を10時20分に出発、また樹林帯の広い尾根の登りが続く。この登山道はだらだらとした登りで、登り返しはほとんどない。鏡池に11時頃到着してさらに登る。この頃になると背の高い木が無くなってくる。11時25分寺地山の山頂へ到着する。山頂は樹林帯に覆われているが、黒部五郎岳の方が開けている。ただ生憎、雲が出てきており、北ノ俣岳や黒部五郎岳は望むことができない。北ノ俣岳方面から下山してきた人に聞くと、今朝は雲ひとつ無い晴れであったようで、展望もかなり良かったとのこと。少し残念である。
山頂で万歳をし、昼食をとる。このピークは、登山道の途中のピークの意味が強いようで、昼食中も何人か下りて来る人がいた。昼食が終わり三角点を探す。山頂にあるのは、主三角点という少し丸みを帯びた石標のため、本物がどこかにあるはずと考えて探すことにした。山頂から東側、北ノ俣へ向かう方や北側に開けている笹原を探したが見つからない。
あれこれと探していると、我々の後から登ってきたご夫婦に声をかけられる。聞くと、三角点を探すことを毎回やっているとのことで、暫く手分けして探すことになった。しかし、なかなか見つからない。そこで、高木さんともう一度冷静に地図を見てみると、最高点から西側へ少し下ったところに三角点の表示がある。その地図に従い、少し下ったところを探すことにした。そこは開けた笹原で、人が入った跡があるようだ。入っていくと地図が落ちていたりして、明らかに人が入っていると思われる。そして、近くの杉の低木に寺地山山頂の札が取り付けられている。加賀の山岳会のもののようである。やはりこの辺りかと足元を探すと、三等三角点が姿を現した。「あったぞ~」とご夫婦を呼び、そこで記念撮影を行う、喜んでおられたのが印象的であった。
13時20分下山開始、登ってきた道を下りていく。思ったよりも距離が長く、疲労を感じる。神岡新道分岐で休憩し、ひたすら下る。15時30分頃に無事下山した。 [久田宗昌 記]
[日 時] 平成26年9月14日(日)
[場 所] 岐阜県飛騨市神岡町打保、富山県富山市有峰 境
[参加者] 高木基揚、久田宗昌
[タイム] 岐阜県庁東駐車場5:00=飛越トンネル南口駐車場8:00~8:20―県境稜線8:50- 神岡新道合流点10:05~10:20-寺地山11:25~13:20-神岡新道分岐点14:10- 車止め15:55~16:05=県庁駐車場20:15(解散)
[地 図] 1/20万;高山 1/5万;有峰湖 1/2.5万;下之本、有峰湖
6月例会山行 高木山(344m)富士山(357.15m)
6月例会山行
高木山(344m 標高点)、富士山(357.15m 三等三角点)
美濃加茂の山へようこそ! 梅雨の晴れ間となった朝、9時の開門と同時に入園した『みのかも健康の森』の駐車場は9時20分には混んできた。本日の参加者は8名でリーダーは白木理事。コースは高木山と富士山の2座を目差します。
高木山・富士山の山域は加茂森林組合の公園となっており、土日や祝祭日は家族連れで賑わいを見せます。元日には支部長の名を冠した『高木山』は日の出前から賑わい、『富士山』へ登るか迷うところです。そ
▲富士山頂上での参加者
して『富士山』は何よりもネームバリューがある。最近テレビで紹介されたこともあり、名古屋からの入園者が増えているとのことです。
まずは高木山の777段の階段を上がり始める。といっても10㎝に満たない石段の連続である。登り口には杖が置かれていて自由に利用できる。木造のしっかりした階段が見上げる上の方へ延びている。この250段で分岐し『はぎの小路』に入る。3合目の休憩所で視界が開け、法仙坊ゴルフ倶楽部が目に飛び込んでくる。
だらだら道を進み稜線に出る。本隊6名が西のピーク(愛宕神社)へ向かい、2名は待機。小憩の後展望台に向かう。北北西に白山、北に御殿山山系が望め、やがて頂上。喜びの砦は展望台3階部分が標高347mとなっている。眼下には777段の階段が下へ延びている。
20分休憩後尾根ルートの『つつじの小路』を下る。紫の花が萎れているが、5月には紫と黄色を一杯に堪能させたことだろう。扇谷絶壁を経て、見晴岩から可児市街と鳩吹山を眺め乍ら下る。
目の前は『富士山』である。県道を渡る富士見橋から、いざ富士山へ! 階段状に設えられた道を急登する。交差する林道を東へ進む。この辺りは昨年までの遊歩道整備工事で真新しい橋が沢に架かっている。暫くして休憩小屋が見えてきた。毎年4月20日の祭礼には拝殿ともなり、山之上町の8つの字の氏子が持ち回りで執り行われるのである。
林道から分かれ登山道を登る。丸太階段をひたすら登る。1座の登り降りで疲れが出たので弱者分隊は小休止し、本隊に先に登ってもらう。12時30分、本隊登頂。10分遅れで分隊が登頂し、一緒に富士浅間神社に参拝。その後後藤さんの手料理に舌鼓を打ち、蜜柑を頬張りながらの歓談で昼食をとる。
富士山から富士山が見えるかが関心事であるが、残念ながら見えないのである。今日は霞んでいるが南アルプスの山波はここからも見え、富士山は聖岳の南稜辺りに遮られてしまう。念のためマイPCのアプリ「見通し」でチェックしたが「見えません」の回答だった。
三等三角点を囲み記念写真の後、支部長の発声で「ヤッホー」を三唱し下山する。帰路は直下に下ることにした。和気藹々のうちにいつしか第2ピークを過ぎ、第1ピークも通り越してしまった。天然記念物となっている『ヒカゲツツジ』も4月咲きで、今はうっかり見落としてしまう。富士山を一巡りして林道分岐から朝の道に戻り、『あじさいの池』を経由し管理棟で一休み、15時第1駐車場で解散した。第2駐車場も満車状態であった。
[影山英雄 記]
[日 時] 平成26年6月8日(日)
[場 所] 岐阜県美濃加茂市山之上町高木山 「みのかも健康の森」
[参加者] 影山秀雄、久野菊子、後藤 允、白木貞次、杉山美智子、高木基揚、馬淵 等、 影山千代子
[タイム] 第1駐車場9:25=高木山10:20~10:40―富士山分岐11:15―富士見橋―富士山12 :30~13:35―ヒカゲツツジ群生地―管理棟14:40―第1駐車場15:00(解散)
[地 図] 1/20万;飯田 1/5万;美濃加茂、金山 1/2.5万;美濃加茂、上麻生
14年度 春季懇親山行 堂塚山(885.2m)2014年4月13日(日)
支部総会・春期懇親山行
堂 塚 山 (885.16m 二等三角点)
今年の支部総会の開催場所は、郡上市和良の「山崎旅館」。ここは平成14年度の支部総会を行った場所である。その時、支部創立30周年記念事業の打合せをしたのだが、もう12年前のことになる。翌日は簗谷山に登っており、2日間の延べ参加者は54人。その中には、既に鬼籍に入った松井辰彌、高木碕男の元支部長を始め、水野美代子、山田暁、岡田謙吉諸氏の名前が見える。今回の参加人数は当時の約2/3、つくづく時の流れを感じさせられた。
今年は本部からのお客様もなく、身内だけの総会。例年通りの事業報告と事業計画、決算と予算等の議案が滞りなく承認される。岐阜今西錦司賞は早田前支部長に与えられた。その後の懇親会も粛々と進む。かつてのような馬鹿飲みや馬鹿騒ぎもなく、ここでも時の流れを感じたのは私1人ではないだろう。
翌朝は晴。「前夜の御神酒が効いた」とは言いにくいが、晴れるに越したことはない。以前はほとんどいなかったが,近年翌日の山に登らない人が増えてきたのも時の流れか。その人達に見送られて出発。ところが、10分足らずで林道の車止め。山が近すぎるのも、ややあっけない気持である。
準備して三々五々出発、林道を先へと進む。暫く行くと林道分岐。左を取ると平四郎峠から旧の金山町や馬瀬村に通じている。右手は山林所有者が自費で開いたという林 ▲堂塚山頂上での記念写真
道。そちらを辿るが、急な上にかなり荒れている。いやになって、林道途中で休憩一本。その先直ぐで林道終点だった。
林道終点から左手の沢筋の作業道を辿る。伐採木が多く歩きにくい。暫くで沢が分岐しており、両方の沢はいずれも伐採木に埋まっている。やむなく間の小尾根を直登する。尾根は伐採木も少なく藪もほとんどなく、かえって歩きやすい。急登を暫く頑張ると市境稜線に出る。稜線上は踏み分け道があり、それを右手にたどると直ぐに頂上だった。
旅館で朝飯を食べてから2時間ほどしか経っていない。昼飯には早すぎるので、適当におやつを食べながら寛ぐ。といっても見晴らしも余りきかない平凡な頂上。記念写真を撮り、万歳三唱して40分程で下山する。同じルートを辿り、昼過ぎには車止めに着き解散となる。何となくあっけない山行だったが、今年度は数多くの山行が計画されている。多数の参加を得て、おおいに盛り上がることを期待したい。 [堀 義博 記]
[日 時] 平成26年4月12日(土)、13日(日) [場 所] 支部総会;「山崎旅館」 岐阜県郡上市和良町沢745-3 懇親山行;岐阜県郡上市和良町土京、下呂市金山町卯野原、境 [参加者] 東 司、池田真由美、猪又敦子、今峰正利、大口瑛司、久野菊子、神山敬三、 後藤 允、西條好廸、白木貞次、杉山美智子、関本澄子、関本俊雄、高木基揚、 武田幸男、竹中佳美、野村百合子、林 一美、久田宗昌、藤井法道、堀 義博、 松村喜久男、馬淵 等、宮澤真華 (以上、総会及び山行参加) 大脇美代、織田沢美智子、影山英雄、影山千代子、清水千枝子、鈴木寛人、 高倉 敦、竹中美幸、早田道治、森本市郎 (以上、総会のみ参加)[タイム] 「山崎旅館」8:30=林道車止め8:35~8:45―林道分岐9:05―林道終点9:50― 市境稜線10:15―堂塚山10:30~11:10―林道終点11:40―車止め12:15(解散) [地 図] 1/20万;飯田 1/5万;下呂 1/2.5万;下呂、郡上市島
夏季北アルプス山行 医学調査 樅沢岳
夏期北アルプス山行
双六方面、樅沢岳(2755m 三角点なし)-医学的研究を目的とした-
岐阜支部の夏期北アルプス山行は、医学的研究を兼ねて行うのがここ数年恒例となりつつあります。昨年は大雨で中止となったため、今年も昨年と同じく双六岳・鷲羽岳方面で再度計画しました。参加者は岐阜支部のベテランメンバー4名、岐阜医療科学大学の教員3名(内2名は岐阜支部会員)、同大学学生2名の計9名でした。
研究のテーマは『山行中の血圧の変化を明らかにする』としました。山行中の血圧の変化については「運動による交感神経の影響や低酸素刺激で血圧は上昇する」という説と、「脱水により血圧は低下する」との相反する意見があります。どちらが正しいか実際に測定してみようというのが今回の目的です。ベテランメンバー4名には事前に岐阜医療科学大学に来ていただき、医療検査器具を使用して、基礎データとして動脈硬化の程度(血管年齢)の測定をさせて
いただきました。年齢相当の血管年齢の方も、実年齢より血管年齢がずいぶん若い方もいらっしゃいました。普段の運動(山行)によって動脈硬化が進まず、血管年齢が若くなっていると考えられます。
前泊組は、新穂高のゲート近くにあるホテルニューホタカに宿泊しました。築50年くらいの古い建物で、ご主人がひとりで管理運営しているとても質素な宿でした。ただ源泉かけ流しの温泉は最高で、特に屋外にある露天風呂は大自然と一体となれました。
22日の午前6時に新穂高のゲートに集合。各自に手首で測定できる携帯型血圧計を配布しました。ワンタッチで測定ができるので血圧計を装着したまま登山をしてもらい、各地点で血圧測定をしようという計画です。出発前の血圧測定でかなり血圧の高い方がいらっしゃいました。もし病院でこの血圧の数値を見た場合、「このままでは危険です。内服薬で血圧を下げてから登山をしてください」と指導されるような数値でした。このまま一緒に出発しても大丈夫かなと不安になりましたが、普段から元気で登山をされている方なのでゴーサインを出しました。各休憩ポイントで測定しましたが、計測された血圧と脈拍数は血圧計本体に記録されるので、山行終了後にメモリを回収して結果を確認すれば良いので楽です。
このところ天候が不順であったため心配していましたが、初日の午前中は快晴でした。ワサビ平小屋から小池新道を通って昼食ポイントの鏡平山荘をめざしました。途中でオコジョに出会うことができました。鏡平で昼食をとり、池のまわりで寝そべるなどして休憩。ところが午後になると雲行きがあやしくなりました。双六小屋まで急がなくてはいけませんが、教員の一人が膝関節痛を訴え思うように歩けなくなってしまいました。ベテランチームのサポートをいただいて、何とか15時30分に全員が双六山荘に到着することができました。山荘では9名で一部屋をあてていただき、老若男女で楽しいひと時を過ごすことができました。山荘に到着してから本格的に雨が降り出し、天候は悪化してきました。
2日目は鷲羽岳を目指す予定でしたが、夜間は激しい雨風が続き、天気予報をみても天候の回復は期待できそうもなかったため、そのまま下山することにしました。ただ、何処のピークも踏まないのも残念なので、体調の良いメンバーのみでガスの中樅沢岳のピークを目指しました。樅沢岳からの下山中に視界が開け、鷲羽岳、双六岳、笠ヶ岳などを見ることができました。
双六小屋で全員が集合し、前日に来た道を下山。途中で弓折岳のピークを踏み、鏡平山荘、小池新道経由で新穂高まで下山しました。下山時も教員チームが遅れてしまい、ベテランチームにサポートしていただきました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
下山中はそれほど天候が悪化することもなく、この天候であればあわてて下山しなくてもよかったかなとも思いました。山行リーダーとして、判断することの難しさを実感しました。いろいろと勉強することの多い山行になりました。
血圧測定の結果ですが、登山前に血圧が高かった方は、なんと登山中は正常血圧になっていました。適度な運動で末梢血管が拡いたのでしょうか、それとも気分的にリラックスできたためでしょうか。理由ははっきりしませんが事実は事実です。また、他のメンバーも血圧は若干低下し、血圧が上昇することはありませんでした。この測定結果だけで何らかの結論が言えるわけではありませんが、貴重な記録なので、平成27年5月に開催される日本登山医学会学術集会で岐阜支部の研究報告として発表しようと考えています。
最後に、今回の山行では教員3名と学生2名が大変お世話になりました。岐阜支部に入会していなかった教員1名も今回の山行をきっかけに岐阜支部入会を決めました。今回の山行で支部会員を1名増やすことができました。学生さんたちも社会人になったら入会してくれるといいなと思っています。 [加藤義弘 記]
[日 時] 平成26年9月22日(金)、23日(土)
[場 所] 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂 新穂高温泉~双六小屋
[参加者] 加藤義弘、今峰正利、神山敬三、林 靖子、藤田純江、和田裕子、肥後恵美子、 松浦 愛(学生)、高橋奈津恵(学生)
[タイム] 22日 新穂高ゲート6:00―ワサビ平小屋7:00-鏡平山荘12:00-双六小屋15:30
23日 双六小屋6:00-樅沢岳6:45-双六小屋7:30-弓折岳9:30-鏡平山荘11:30 ―新穂高ゲート15:30(解散)
[地 図] 1/20万;高山 1/5万;上高地、鎗ヶ岳
1/2.5万;笠ヶ岳、三俣蓮華岳
壁上
9月例会山行(登りたくない山)
壁 上 (1556.6m 二等三角点)
かつて県内の一、二等三角点巡りで登った全くの無名峰。2度と来ないと思ったけれど支部の山行に組み入れられ、再度登るはめとなった。「登りたくない山」の所以である
集合時間の15分前に全員、と言っても3名だが、集合し出発。途中ひるがのSAで休憩し、ほぼ予定の時間に栃尾発電所に到着。最初は発電所の導水管の巡視階段を200段登り、勾配が変わり急になった個所から山腹につけられたジグザグ道を登る。非常にいい道で、上池までの290mを何と35分で登ってしまった。これには驚いたけれど、自信にもなった。
その先道はないが、全然下草のない植林帯の尾根の急登になる。それも標高差にして150m程で、後は二次林となり1226mのピーク付近からは緩やかな稜線漫歩。薄い藪を気持ちよく進み、一旦30m程下る。そこからがこの山の核心部で、「壁上」の名前の由来と思われる壁のような山腹の登りとなる。一帯はブナなどの疎林で足元は背の低い笹原。藪は全然気にならないが、とにかく急である。笹に掴まりながら高度を上げていく。
登る途中、最初はしっかりしたけもの道だなと思い辿っていたが、どうも人の歩いた跡らしい。そのうち木の枝にテープがぶら下がっているのを見つける。我々以外に物好きはいるのだな、と自分達のことはさておき感心することしきり。ようやく稜線の鞍部に登りつく。
左へ稜線を辿る。不思議な地形で、両側が深く切れ落ち高度感抜群。樹木があるので怖さはないが、無いと大変だろう。その樹木の根と落ち葉で地面はフワフワ。2、3度踏み抜いたりして、まるで空中を歩いている感覚である。そのような稜線の最高点を過ぎ、やや下った西の端に三角点があった。両側の切れ落ちは無く、やはり地面のしっかりした場所を選んで設置したのだろうと思う。
時間的に予定通り登れたので、頂上でゆっくりし同じルートを戻る。最後の長い階段は手摺りを頼りに慎重に下った。2度目で登りたくないと言っていたけれど非常に楽しい山行だった。ただし、決して3度目は登りませんよ。 [堀 義博 記]
[日 時] 平成26年9月14日(日)
[場 所] 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷今見
[参加者] 後藤 充、竹中美幸、堀 義博
[タイム] 岐阜県庁駐車場3:45=栃尾発電所脇車止6:35~6:55―上池7:30~7:40-P1226 8:10~8:20-稜線鞍部10:00-壁上頂上10:45~12:00-稜線鞍部12:30-P1226 13:35―上池13:50~14:00-車止め14:25~14:45=県庁駐車場18:30(解散)
[地 図] 1/20万;高山 1/5万;上高地 1/2.5万;焼岳、笠ヶ岳
菩提山401.1m~明神山658.8m
秀吉の天下統一にかかせなかったと言われる、黒田官兵衛と竹中半兵衛。
竹中半兵衛は岐阜県大野町の生まれ、1559年半兵衛の父重元は垂井町の菩提山に城を築き居城としました。
2014年NHKの大河で話題となり、訪れる人も増え、地元の竹中さんの案内で菩提山と明神山を登ってきました。
予定人員を上回る20人の参加で、菩提山までの2人を除く18人が明神山までの9kmを歩いた。
菩提山からは、一旦下り、徐々に登りとなる。
ピークにある石の鳥居はマイマイガの卵でびっしりで驚くが、大正9年に建立されていることには、大きな話題となった。
溝状の登山道は雪が深く、尾根を選んで神社に着く。
山頂は少し奥だが、こうやマキや山椿が植えられている。
山頂から眺める伊吹山は真っ白に輝いていた。
昼食は、東屋と日当たりのよい場所などにそれぞれに分かれて取った。
下りは、大和猛ゆかりのさかさ杉を訪ねる。
見晴らしの効く所からは霊仙、御嶽、中央アルプスが望まれた。
予定より早く禅憧寺に下山した。
年の初めの充実した山となりました。