11月例会山行(第1回 山城シリーズ) 鎌 刃 城 址 ~ 向 山( 659.9m 三等三角点 )

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山城(砦)シリーズ第一弾は、一昨年「続日本百名城」の指定を受けた鎌刃城で、中山道(当時は東山道)69次の宿場「番場」の宿近く、標高384mにある典型的な山城である。この城の築城時期など不明なところは多いが、応仁の乱の頃には築城されていたようで、城主はこの地の豪族の堀氏であった。戦国時代には北近江の京極氏と南近江の六角氏、浅井氏と織田信長の戦乱の地となり、さらに秀吉なども登場する争奪の場でもあった要衝の地である。
米原ICを過ぎ旧中山道は番場の宿に入る、間もなく鎌刃城の道標に従って名神高速道路脇の空き地に駐車。登山スタイルに身形を整え、高速道路の下をくぐって鎌刃城大手口の案内標識から入る。左右には竹藪が茂り、やや暗い道だがよく整備されていて問題はない。20分も歩くと蓮華寺からのルートと出会い、尾根を進むようになりいくらか見通しもよくなる。
前方に小高い台地が見えてくれば目指す鎌刃城址だ。まず北端を防御する重要な役割があったとされる土塁の跡、その先には僅かに残った野面積みの石垣などを見て本丸へ進む。平成10年の本格的な発掘作業で御殿の礎石や多くの陶器・鉄釘などの発見があり、近江の北と南の警護に重要な役割を果たした城であったことが再認識された。
仮設の櫓のある副郭で展望を満喫し休憩の後、連続する竪堀群を抜けいよいよ主郭へ進む。まず多くの石垣が残る虎口から入る。見事な石塁である。ここには大きな櫓などもあったようで、広い台地になって石碑や説明板などもある。もう少し木立が少ないと琵琶湖、秀吉の長浜や浅井氏の居城跡の小谷山なども展望できるのだが。主郭から幾つかの曲輪や土塁・堀切などを抜け尾根上に進んだのち、いったん下って城の水源である「清流の滝」を確認する。城まではおおよそ700mの距離、当時は竹などで水を確保していたのではあるまいか。
ここから少し登り返し車道に出て15分ほど歩き、もう一つの目的地「向山」へ向かう。登山口から山頂まで道はないが、幸い藪がないので約1時間で全員「向山」に着くことが出来た。琵琶湖や米原一帯に広がる展望を満喫、長いランチタイムを楽しんだ。復路は城址の裾を巻くように下山。予定時間が早かったので帰路、信長や秀吉などが通り、のちに弘法大師の逸話が残る中山道沿いの「摺針峠」に立ち寄った。              [藤井法道 記]

[日 時] 平成30年11月11日(日) (晴れ)
[場 所] 滋賀県米原市番場
[参加者] 藤井法道(L)、後藤 允、杉山美智子、武田幸男、竹中美幸、久田宗昌                計6名
[タイム] 美濃国分寺7:00=米原市番場登山口8:00-蓮華寺分岐8:20-鎌刃城址8:50~9:30-清龍滝9:50~10:10-林道登山口10:30-向山11:30~12:20-鎌刃城址林道入口 13:10~13:20-鎌刃城址巻道―登山口14:20~14:30=中山道摺針峠14:50~15:05=米原=美濃国分寺16:00(解散)              [地 図] 彦根東部(名古屋9-3)

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