第15回 11月23日(水、祝)
天気:曇り 参加者:JAC2名
小屋じまいをした後でしたが、雪のくる前に気になる個所の点検に出かけました。
登山道入り口付近の補修整備及び防獣ネットの総点検と出入り口の改良を行いました。
登山者の行き来がスムーズに行えるよう、防獣ネットの出入り口を簡素にしました。
第15回 11月23日(水、祝)
天気:曇り 参加者:JAC2名
小屋じまいをした後でしたが、雪のくる前に気になる個所の点検に出かけました。
登山道入り口付近の補修整備及び防獣ネットの総点検と出入り口の改良を行いました。
登山者の行き来がスムーズに行えるよう、防獣ネットの出入り口を簡素にしました。
第14回 11月12日(土)
天気:晴れ 参加者:JAC12名+他1名
今日は今年最後の作業で、小屋じまいと恒例の芋煮会です。
今年も多くの方に参加していただき、有難いことです。
苗木110本の仮置き、ドングリの種蒔き養生、防獣ネットの点検整備、のぼり旗の撤収等の作業を行いました。
その後全員でテーブルを囲み食事と談笑で一年間の労をねぎらいました。
▲恒例の芋煮会の風景
最後に色々な資材を道具小屋にしまい、小屋じまいと苗木等の冬支度を完了、来年春までの越冬となります。
第13回 11月3日(木、祝)
天気:曇り 参加者:JAC4名
登山道の補修と、前回に引き続き防獣ネット張りを行いました。
今回150m張り、これで総延長1700mを張り終えることが出来ました。
山岳講演会
[演 題] 黒部横断2014 - 十字峡を越えて八ツ峰へ -
[講 師] 立山ガイド協会会長 上田 幸雄 氏
支部長挨拶と講師紹介
皆さんこんばんは。日本山岳会岐阜支部の支部長をしています高木です。今年で43回目となりますが、これから山岳講演会を始めます。昨年は飛騨方面の岐阜県警山岳警備隊の話でしたが、今回は上田幸雄さんをお迎えして「黒部横断2014」というタイトルでお話ししていただきます。
日本山岳会では毎年「山岳」という本を発行し会員に配布しています。その15年度版にこの記録が載っていまして、すごいなと感心しました。それで富山支部の山田支部長に電話して上田さんを紹介してもらいまして、今回の講演となったわけです。
上田幸雄さんは1967年愛媛県のお生まれで49歳、まだまだお若い方です。職業は日本山岳ガイド協会認定の山岳ガイドで、立山ガイド協会に所属しています。
略歴ですが、高校までは登山に関係のない生活を送ってきました。北海道の帯広畜産大学に進んで山岳部に入り、4年間北海道の山に通ったということです。その後、富山県に移り住んで、地元の山を中心に登山活動を続けてきました。中でも剱岳を核とした黒部横断に魅力を感じ、年末年始を中心に長期登山を行ってきました。
これまでの主な長期登山としては、立山~槍ヶ岳単独行、硫黄尾根~槍ヶ岳~北鎌尾根単独行、鹿島槍~十字峡~源次郎尾根、扇沢~針ノ木峠~平の渡し~ザラ峠~千寿ヶ原を14時間でスキー横断、扇沢~黒部別山第一尾根~立山、ブナ立尾根~水晶岳~上ノ廊下横断など幾多の厳冬期の登山をしてこられました。それでは、厳冬期の風雪やラッセルのことなどお話ししていただきます。
上田幸雄氏の講演
皆様はじめまして、よろしくお願いします。上田といいます(拍手)。こんな大勢の人の前で話すのは何年かに1回ということで、非常に緊張しています。口も上手く回らず聞きにくいこともあると思いますが、1時間半の間よろしくお願いします。
私の略歴については先ほど高木支部長が話された通りですが、ガイドとしては5、6年しか経験がありません。それまでは会社で働きながら山に登っていて、25歳頃から黒部横断に取り組みました。何がきっかけだったかというと、和田城志さんという登山家がおり、和田さんが書かれた文章を読んで、地元の劔岳がすごい山だということを知り、僕も和田さんのような登山をしたいと思い取り組んだのです。今、49歳ですから25年程取り組んでいて、実際に横断したのは12、3回くらいですから、大体2年に1回の割合です。
今回お話しするのは、2014年の年末に行った横断です。ざっと大体のコースを説明しますと、大町の日向山ゲートから歩き始め、扇沢から岩小屋沢岳の新越尾根を登ります。岩小屋沢岳の北西尾根を十字峡に向けて下り、十字峡で黒部川の本流を渡ります。その後、黒部別山北尾根を登り、劔沢に降りて、八ツ峰Ⅰ峰のⅢ稜に取り付きます。そして八ツ峰を縦走して劔岳に登り早月尾根を馬場島に降りました。メンバーは澤田実、成田賢二、中島健郎、そして私・上田幸雄の4人、私が最年長です。この時の計画は実働14日間、予備日10日間、合計24日間でしたが、実際は12月19日から29日までの11日間で登っています。
日向山ゲートを35㎏前後の荷物を担いで出発しました。新越尾根は雪が締まっていてほとんどラッセルが無く、アッという間に岩小屋沢岳の頂上に着きました。本来なら後立山の稜線に出ると正面に劔岳がバーンと見えて、何て遠いのだろうと絶望的な気分になるのですけれど、今回は幸いなことにガスっていて見えませんでした。
その先、岩小屋沢岳の長い北西尾根を下っていきます。正面に2000mちょっとの黒部別山が立ちはだかり、その間に黒部川が急激に切れ込んでいます。黒部別山の裏側に劔沢が食い込んでいて、その向こうに劔岳があります。劔沢の奥には劔沢大滝という幻の大滝があるのですけれど、僕は見たことがありません。北西尾根の末端は鋭く切れ落ちていて、その真下に十字峡があります。
テント生活の話をしますが、今回は本体+外張りと二重にしています。シングルで使っている人もいますが、保温性とかを考えると多少重くてもやはりダブルウォールにして使うようにしています。自然破壊と言われると困るのですが、樹木がある所では雪をならした後に木の枝葉を敷き詰め、その上にテントを張ります。そうすると断熱効果があります。皆さんも経験があると思いますが、雪の上で生活しているとどうしても真ん中がへこんでくるのですね。こういう所では出来るだけ快適に生活出来るように工夫しています。ノコギリは必携です。藪がひどい所では荷物が引っかからないように、先頭は邪魔になる枝を切り払いながら進みます。
冬山を始めた学生の頃は、テントの中でアウター(ナイロンヤッケ)は着っぱなしでいました。先輩達がそのままでいたので、考えなしに着ていたのですが、テントの中でストーブを焚いても濡れたアウターは全く乾かないのですよね。燃料が有り余るほど有れば別ですが、そんな余裕はありません。濡れたアウターは翌日の行動の時になると凍るのですから脱いでしまいます。薄着になり肌着を乾かしてから、ミッドウェアを着ています。
もう一つテント生活の話をしますと、ナルゲンという水のポリタンクを持っていきます。折りたためて小さくなるものでプラティパスもありますが、何故ナルゲンの方がいいか分かりますか? 男性だったら分かるということで、その先は言いません(笑)。
話を戻しまして、北西尾根の末端に来ました。尾根の末端は急に落ち込んでいますので、懸垂下降をすることになります。60mのロープを使っていますが、2本繋いで使うと結び目が藪に引っかかったりして回収出来なくなる可能性があるので、1本のロープを半分に折り返して30mで使っています。最後だけは、どうしてもアンカーがとれなかったので60m一発で降りています。荷物が重いので、担いだままで懸垂すると身体が後ろに持って行かれてしまいます。それで荷物の重さも下降器に加重されるシステムにして降りています。
雪稜の懸垂下降でアンカーがない場合は、土嚢袋に雪を入れそれを埋めてアンカーにします。消防団とかで使っている砂を入れたりする土嚢袋ですが、60㎝×90㎝くらいのちょっと厚めで大きいものを1人1枚くらいずつ持って行きます。それはテントの中で荷物を整理するときにも使いますし、水を作るための雪を入れておくとか色々使えます。
この時期は十字峡の200m上流にスノーブリッジが出来て、本流を渡れるのです。何年か前にここを通った僕の友人から「ここにスノーブリッジが出来るから渡渉しないで渡れるよ」と聞いていたので、今回このポイントを選んだのです。けれど懸垂を始めた時は下が全く見えません。大分降りてからやっと見えてくるので、降り始めのポイントを間違えると、そこに降りられなくなります。すると登り返すという事態になるのですが、今回は見事にピンポイントでスノーブリッジに降り立つことが出来ました。
スノーブリッジを渡って反対側の斜面を登ります。この日は雪が降っていたので上からチリ雪崩がドンドン落ちてきます。けれどそこで怯んでいては家に帰れなくなりますから、登るしかありません。かまわず登って行きますが、雪もドンドン降ってすぐ積もってしまうので、あまり長く居たくない所でした。
悪場を登り終えて一安心して、雪の十字峡を見に行きましたが、やはりすごい所ですね。左から劔沢が入ってきて、 (撮影 中島健郎氏)
向かい合って右から棒小屋沢が本流に入っています。左側の劔沢に架かっている吊り橋は雪が2mくらい積もっています。棒小屋沢の向こうに鹿島槍からの牛首尾根が降りてきて、2~3月になると本流にスノーブリッジが出来て渡れるのですが、この時期は出来ていません。
皆さんご存知だと思いますが、佐藤祐介達は敢えてスノーブリッジが出来ない時期とか出来ない場所とかで渡渉しています。一応カッパとかを着ているそうですが、全裸になって腰や胸までつかって本流を渡渉しています。衣類は防水のスタックザックに詰めて反対側に渡ります。そしてロープで衣類を引き寄せ着替える、ということらしいのです。
次の日から怒濤のラッセルが始まりました。十字峡までは大したことなかったのですが、この先は頭の上まで雪があります。傾斜の影響もありますが、平坦な所でも胸まではあります。そうして黒部別山の北尾根を登り、北峰に近付きました。このあたりまで来ると黒部ダムが見えます。ということは携帯電話が通じるということなのです。十字峡の辺りは電波は全然通じません。
ラッセルの話をしますと、1人目・2人目はただラッセルするだけです。3人目くらいから足場となる雪が固まってきます。荷物を置いてラッセルしてロープを張って、また戻って荷物を担ぐという作業を延々と繰り返します。澤田さんは黒部横断は水平のビッグウォールだと表現しました。面白いなと思いました。派手さは無くただただ忍耐です。泥臭い、雪の上ですから泥は無いのですが(笑)、泥臭い登山です。
ちょっと疲れてきました。どなたか質問有りませんか?
Q;食糧は主に何を食べていますか?
A;そうですね、基本はアルファ米です。大体1人1日300gにしています。朝150g・夜150 gと2回に分けて食べます。それに味付けにふりかけとかスープ類みそ汁等ですね。スペ シャル的な感じではペミカンです。昔はラードでコテコテに固めていましたけれど、今は 普通にジャガイモとかニンジンと一緒に炒めています。それをおにぎりみたいにして持っ ていき、鍋にぶち込んでカレーとかで食べます。
やはり、お腹が一杯にならないと動けないし、食事がまずいと楽しみが無いのですね。 2週間くらい山にいると、我慢だけじゃすまない部分というのがあるので、出来るだけお 腹が満たされるだけの量を持っていくことにしています。最近では真空パックのチャーシ ューとかベーコンとかの肉の塊を持っていくとかしています。
昔、お酒は持って行きませんでした。酒持っていくなら米持っていけ、という考えだっ たのです。実は酒は好きで、飲むと暴れるので気をつけて下さい(笑)。ここ何年かは酒も 持って行ってます。当然最後までは無いのですけれど、少し楽しみがあるとテント生活も 豊かになります。
というところで、いきなり劔沢まで降りて来ました。劔沢を渡ります。夏は橋が架かっていますし、もう少し雪が降ると劔沢の本流も雪で埋まってしまうのです。これから八ツ峰のⅢ稜に取り付きます。八ツ峰は普通に登っても末端から4,5日くらいかかるのです。僕は八ツ峰を登るのは2回目で、前回は20年ほど前ですけれど、凄く天気に恵まれてラッセルがほとんど無く、Ⅳ稜から頂上まで4日かかりました。今回の天候とか雪の状態だとそれ以上かかるかなという話をしていました。
八ツ峰はその後に2回計画したのですが、先の天気が悪い予報だったので突っ込まずに逃げて、立山の方へ登る眞砂尾根という簡単な尾根を登って帰ってきました。今は携帯で天気予報が分かります。ラジオは昔からありましたが、情報量が違います。外れることもありますが、気象庁などの予報はある程度正確です。
けれど、それにあまり頼りすぎると、天気が悪いから止めようかということになってしまう。そこが難しいところです。折角休みをとって、食糧は10日分も予備を持って、重い荷物を背負ってここまで来たのです。何の為にここまで来たのだという思いがあるので、今回は逃げないで行ってみようという気持ちでした。取り付く前の予報では明後日から2日間くらいは良いということだったので、それを信じて取り付くことにしました。
天気は期待通り良くなってきたのだけど、目の高さまでのラッセルが続き、なかなか進まないのです。ただ、良かったのは4人という人数です。これまで大体3人が多かったのですが、今回は4人という人間が揃ったということで、ラッセルの負担も減ったしそれなりにスピードもあがったということです。
八ツ峰は劔岳北方稜線の「八ツ峰の頭」から別れ、順にⅧ峰からⅦ、Ⅵ、Ⅴ、Ⅳ、Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ峰と降りてきます。末端のⅠ峰でも2500mくらい有り、写真を見れば分かりますが、木など一本も立っていないのです。Ⅰ峰から劔沢に向かってⅠ稜Ⅱ稜Ⅲ稜Ⅳ稜と枝尾根が出ていて、そのⅢ稜に僕達は取り付きました。
取り付いた次の日の昼過ぎにⅠ峰に到着しました。登る時はアンザイレンで皆繋がっています。ロープの末端はどうなっているかという疑問を持たれた方もいると思いますが、実は末端はザックに括り付けているだけなのです。雪に穴を掘ってアンカーとったりする時間が無いので、ラストのザックに括り付けてアンカー代わりにして、皆ロープに繋がっています。何かあったら反対側に落ちるという方式で登っているのです。一蓮托生というやつですね。
Ⅰ峰から振り返ると、延々とラッセルの跡がついています。自分達がつけたトレースしか無い。良く頑張ったなと思います。それを見るのが冬山の醍醐味ですね。振り返って、あぁまだこれだけしか登っていないとガッカリすることもあります。昼頃になっても昨晩のテントの跡が見えて、たった数百mしか登っていない。「絶望感」、これがいいのです。
この日から翌日は素晴らしい天候で、周囲の山は全て見えます。1週間以上かけて苦労して登ってきたけれど、これだけの景色を見ることが出来れば、それだけの価値はあります。
Ⅰ峰から本来なら次にⅡ峰へ登るのですけれど、かなり鋭いナイフリッジになっていて非常に時間がかかることが予想されました。それでⅡ峰はトラバースすることにしました。雪崩れてもおかしくない斜面ですが、安定していると判断して入りました。皆ロープ (撮影 中島健郎氏)
に繋がっていますが、全く意味が無いですね(笑)。結局Ⅱ峰は巻いちゃいました。
Q;雪崩は大丈夫だと判断した根拠は何でしょうか?
A;Ⅰ峰へ取り付いてみて、雪を踏んだ時の感触ですね。それと1週間山に入っていたのだ から、その間の雪の降り方を知っています。それらを総合的に考え判断しています。
Q;写真を見ているだけでも怖くて仕方ないですね。
A;だから念のためにロープをつけているのです(笑)。
Q;八ツ峰にテント場の適地はあるのでしょうか?
A;夏でないので八ツ峰にテント場はありませんし、お金もいりません(笑)。というのは冗 談ですが、過去の記録から大体このあたりが適地だと分かっています。僕自身も1回登っ ているので大体の見当はつけていたのです。けれど、記録に残していれば別ですが、人間 の記憶というのは曖昧なものです。自分の都合のいいように考えているので、行ってみて アレッということが多いです。
一般的にテントの設営は現場判断のことが多いですね。時間と天候とかの兼ね合いです。その日の天候と次の日の天気予報によって行動をどうするか、それじゃ今日はこの辺で止めようかとか考えます。例えば次の日の天気が悪い予報の時、樹林帯の中の風の弱い所で安眠出来るように考えます。行動する時に条件が悪いのは仕方ないですけれど、テントで休む時は出来るだけ楽したいですからね。ただ八ツ峰に入っちゃえばそういうことも出来ませんから、運を天に任せるしかないのです。幸い今回は天候が良くて、僕たちは恵まれていました。
雪洞を掘れば風とか降雪の影響が少なくなります。ただ雪洞を掘るにしてもタイミング的にいい場所が無かったと思います。雪洞を掘るには時間がかかるし労力もかかる。ウェアも濡れるし大変なのです。だから雪洞は嫌だという人も多いのです。
雪洞の中は気温自体はそんなに低くはならないけれど、雪洞内で火を焚いても中の気温が上がらないので寒いのです。冷え冷えするのですね。だから僕たちは中でテントを張るという前提で雪洞を掘ります。4人用の雪洞なら2m×2mくらい掘れば何とか寝られるのですけれど、テントを張る場合、作業スペースなどもいるので、より大きく掘らなければなりません。高さも勿論そうです。そのかわり非常に快適です。風の影響も無く、テントの中でストーブを焚くと熱帯です。
八ツ峰もⅤ峰、Ⅴ・Ⅵのコル、Ⅵ峰と越えていきましたが、Ⅶ峰はかなりのナイフリッジになっています。それを越えてⅧ峰とのコルまで来ましたが、この先の悪天が予報されているので、とにかく早く下山しようというこになり、コルから降りて長次郎谷を登りました。そしてⅧ峰と八ツ峰の頭は巻いて池ノ谷乗越に出ました。ですから八ツ峰は完全には歩いていないことになりますが、すでにⅡ峰を巻いていますから、その時点で完全縦走ではなくなっていたのです。
そうして剱の頂上に着きましたが、まだ大きい荷物を担いでいます。予備日を入れて24日分の食糧を用意して、半分の日程も消化していない。順調に進んできているので食い減らしをしようと思うのですけれど、人間は不思議なもので少ない食糧になれてくると胃袋が小さくなってあまり食べられなくなるのです。 (撮影 中島健郎氏)
頂上に着いた時は夕暮れになっていました。富山湾の向こうに能登半島が連なっています。何処まで陸地なのだと思うほど延々と連なっています。
クリスマス頃に入った学生達のトレースも少しは残っていたので、その日のうちに早月小屋まで降りることにしました。当然夜になりますが、天気にも恵まれ富山平野の夜景を眺めながら降りるというナイスな夜でした。吹雪いているとヘッドランプではとうてい歩けません。そして次の日、麓に降り立ち、富山湾のベニズワイガニで祝杯を上げたのです。
以上で黒部横断の話を終わりますが、後は質問を受けたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
Q;雪山の醍醐味はラッセルだと思います。スノーストックを使っていると思いますが、具 体的に手順を教えてください。
A;そうですね、ストックも使っています。雪は足下に崩して踏み固める。踏み固めるには 余るほど量が多い時は、傾斜を利用して脇から下に流して落とします。とにかくトップは 前へ進む、それが仕事です。二人目がそれを固めて歩けるようにする。ラッセルの高さに よっても違いますが、目の高さほどの雪だとやはり二人がかりでやらないと難しいですね。
Q;時間的にトップはどれくらいで交代しますか?
A;年令に反比例します(笑)。というわけでもありませんが、やはりポイントというのがあ ります。それに、その人の体力とかザックを置く場所とかメンバーの位置関係のタイムラ グによっても変わります。
トップは自分の判断で替わりますが、実はトップが一番楽なのです。いや、二番目かな。 とにかく荷物を持っていないですから。荷物を持っているのが一番えらいですから、出来 るだけ空身で楽をしたいのです。それで、皆競ってトップを行きたがります。
Q;冬の劔では3日以上晴天が続くことはないと聞いていましたが、今日のお話や写真を見 れば、かなり天気は良さそうに感じました。このように良い時もあるのでしょうか? 最 近は気候も変わってきたように思いますが、実際の天気具合はどうだったのでしょうか?
A;基本的なことですが、天気の良い時しか写真を撮っていないので、そう感じられると思 います(笑)。というのは冗談ですが、確かに天候には恵まれていました。だから、停滞も なく10日間で抜けられたということです。昔の記録とかを読むと、気象条件など大分変わ ってきたなと思います。特にここ2、3年はそうですが、皆さんも最近の気候はおかしい なと感じていると思います。去年なんか全く雪が降らなかったですし。
以前は真冬の北アルプス、特に立山、劔、白馬あたりでは1週間降り続いて2mを越す 積雪というのは普通でしたね。最近は少なくなりました。僕の記録の中には一晩で1mも 積もりテントが潰れそうなので一晩中除雪していたというのが何回かありますが、今回は 50㎝積もったのが最高で、夜中に除雪することはありませんでした。
黒部ダムへ行く関電の黒部トンネルが冬季閉鎖されて15年くらいになると思いますが、 それ以前はトンネルを歩いて、ダムから直接対岸に取り付くことが出来ました。普通の社 会人のパーティでも10日位の休みをとれれば、八ツ峰とか源次郎とかをやれたのです。そ れで一冬に10パーティとかが入っていましたが、トンネルが閉鎖されて以降は一冬に1パ ーティかせいぜい2パーティしか入らなくなった。というか、入れなくなったのです。
気象の話に戻しますと、天気的に見ても山に登りやすくなっています。移動性高気圧が 来て晴れるという確率が増えてきたという気がします。
Q;ラッセルがほとんどのように思いましたが、アイゼンをつけた個所はありますか?
A;当然アイゼンもつけています。ラッセルはワカンがほとんどです。ただ、アイゼンとワ カンを併用することはありません。アイゼン、ワタンはそれぞれ単独で使っています。
Q;燃料は何を使っていますか?
A;25年前に始めた頃はガソリンストーブばかりでしたが、最近はガスストーブも併用して います。バックアップという意味ではないですけれど、故障した時のことも考えています。 それに、ガスは付けたり消したりする時使いやすいのです。
Q;夜のテント生活の楽しみであるアルコール類はどの程度持って行っていますか?
A;人によって違いますけど、僕は500mlか多くて1リッター程度ウィスキーや焼酎を持って 行ってます。
Q;皆さん、体重はどれくらい減りましたか?
A;よく聞かれるのですけど、ほとんど変わらないですね。前に話しましたが、1日にアル ファ米300g食べています。以前は200gにしていたので、腹が減って腹が減って。それで 大分減っていましたけど、今は大丈夫です。年と共に新陳代謝が低下していることもある かも知れません(笑)。
Q;最近は携帯電話が必需品ですが、寒いとバッテリーの消耗が激しいと思います。予備の バッテリーなどはどうされましたか?
A;携帯は日中は切っていて、夜テントの中で情報を集める時だけ電源を入れます。ですか らほとんど消耗しません。予備のバッテリーを1個持っていれば充分です。僕はガラ系を 使っていますが、スマホを使っている人も同じような状況でした。
Q;50年ほど前、十字峡の付近で黒部の本流をワイヤーでかごに乗って渡った記憶があるの ですが、今はどうなっていますか?
A;そういえば25年前最初に黒部に入った頃、鹿島槍の牛首尾根の末端から剱側へワイヤー が架かっていたと思います。今はありませんけれど。
Q;私は10日間も冬山に入ったことがないので一般的な質問をさせていただきますが、狭い テントの中で同じ仲間と何日も過ごす秘訣は何でしょうか? また、ラッセルが趣味だとお っしゃってましたが、ラッセルの醍醐味は何でしょうか?
A;テント生活をうまくやるコツはやはり我慢することですね(笑)。夫婦生活と一緒だと思 います(笑)。
ラッセルは確かに好きです。振り返って自分達の足跡しかないというのが醍醐味と言え ますね。冬山で他人のトレースを辿っても、半分も面白味が無いと思います。自分でラッ セルすることに価値があると思っています。
Q;食糧とか燃料とかはデポしないのですか?
A;昔はしていました。天候のこともあったし怖かったのですが、最近はしなくなりました。 デポするのはやはり反則だと思います。昔と較べてテントも軽くなった。装備も軽くなっ た。食糧も軽量化されている。そんな中でデポするというのは、人間として退化している ことじゃないですか。50キロの荷物をキスリングで担いでいた頃は仕方なかったと思いま すが、今は反則だと思います。
それと、一番の原因は面倒くさいのです(笑)。デポしに行くのも面倒だし、再デポした デポ缶を回収しに行く手間もいる。ということでデポはしていません。
時間が来ましたので、これで私の話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。(拍手) (平成28年11月11日 講演)
2月例会山行
大仏山(Ⅲ 434.5m)、本城山(- 423m)、高沢山(- 354m)
中濃総合庁舎隣のテニスコート駐車場に集合して、高沢観音へと向かう。
本日は参加者15名と企画者には嬉しい大人数である。
3時間あれば歩けるコースであり、この時期の企画としてちょうどよいと考えていた。
高沢観音の本堂裏から入り、林道を歩く。
大仏(おおほとけ)山(やま)は三角点が中部電力管理の反射板の近くにあり、残念ながら厳しい鉄柵に囲まれて近付くことができなかった。
ここで早田さんと林一美さんは高沢観音へ引き返すことになり、残るメンバーで本城山に向かう。
大仏山から本城山へは一度100mほど下った後稜線を歩いて再度登る。
山頂は展望が良いのでここで昼食タイムとした。
▲本城山頂上で参加者一同
山本さんはご家庭の用事があるため、ここでお別れとなる。
昼食後、残るメンバーで帰路の途中に高沢山へと立ち寄った。
高沢山は登りと下りを別ルートをとった。
今日は天候もよかったので、周囲の景色を楽しむことができた。
本堂に帰ると日本茶とぜんざいのお接待を受けた。
毎月第3日曜日に行っているといい、偶然だが、みな楽しめたようであった。
今日は短いコースであったが、3つの山と思いがけないお接待でよい一日となった。
[那須哲郎 記]
[日 時] 平成29年2月19日(日)
[場 所] 岐阜県関市下之保~関市神野・美濃市桶ヶ洞 境
[参加者] 那須哲郎(L)、神山敬三、小島孝子、後藤 允、下畑佐和子、杉山美智子、竹中美幸、長屋桂子、縄田さかえ、林 一美、林 靖子、早田道治、藤井法道、藤田純江、山本善貴
[タイム] 中濃総合庁舎=高沢観音駐車場9:30ー大仏山10:30ー本城山11:25~12:00ー大仏山12:40ー高沢山13:10~13:20ー高沢観音13:30=中濃総合庁舎(解散)
[地 図] 美濃(岐阜3-2)
2月バリエーション山行
貝 月 山 ( 1234.3m 二等三角点 )
前日に雪が降り山行が中止になる心配もあったが、スキー場が登山口なので行ける所までラッセルするということで、計画通りに行われた。
参加メンバーの中には4輪駆動でない人もいて、慎重に雪道を走って久瀬振興事務所に来たようだ。
自分はエクストレイルに乗り換えてギリギリ10分前に到着、3台のエクストレイルに分乗して貝月ゲレンデを目指す。
入会予定の梅田さんは新型のエクストレイル。
それに、東明さんや山田さんと山レコ仲間で、並の女性ではないように思える。
スキーハウスで準備して、7時50分にスタートする。
今日はラッセル訓練が目的で、山頂に立てるかは隊員の力量次第である。
足元はワカンがほとんどで、スノーシューは山本と刈谷さんのみであった。
山本が先頭で、リフト休止中のゲレンデのスキー跡の終わりまで登る。
スキー跡でもかなりの埋まり込みがある。
それより上は真っさらな新雪(深雪)。それを11名でラッセルしていく。
▲二人がかりでのラッセル
腰まで埋まってラッセルするのは初めてである。
リーダーから「交代しろ」と声が掛かる。
一人で長くラッセルしていると後ろにいるメンバーが寒くなってくるので、体を冷やさないうちに早く交代するのが重要なのだ。
しかし、女性では3~5mが限界のようだ。
ラッセルのやり方を白木さんから指導してもらう。
ピッケルを利用して、手で雪をかいてから踏み込んでいく。
梅田さんははじめてだが手馴れたようで、ペースも体力も十分あり見事だ。
天候は雪が降っているが、たまに晴れることもあった。
ゲレンデトップから林道に入って、少しの所で先頭だった梅田さんがすっぽりと埋まってしまった。
空洞があったようだ。
その先で尾根を登ることにした。
ゲレンデほどの深さは無く楽になったかにも思えたが、風が強いため枝の雪が落ちてブリザードになる。
雪が顔に当たって、かなり冷たい。
吹き溜まりや、急な尾根は苦労した。
メンバーの中でも、山田さんと東明さんはパワーがあり、かなり距離を稼いでくれた。
中でも山田さんの急登のラッセルはすごかった。
2番手でも離されるほどだった。
山頂が見えて尾根に復帰しようとしたあたりで、12時近くになり撤退することになった。
この場所で山田さんがゾンデ棒で雪の深さを測ったら、154㎝あった。
昼食は風の当たらない壁になった所で摂った。
▲最終到達地点で参加者一同
雪は降っているが、風が当たらない分よかった。
下りは溝状になった滑り台のような踏み跡を慎重に下った。
幅が狭いため、こけたりする人もいた。
ゲレンデが見える頃には、日が差してきて暑かった。
あれだけ苦労したのに1時間掛からずゲレンデに戻ってしまった。
帰りには他の駐車場が全て満車になっていて、びっくりした。
今日は11人で深雪のラッセルを体験できて、大変有意義だった。
[山本善貴 記]
[日 時] 平成29年2月12日(日)
[場 所] 岐阜県揖斐郡揖斐川町日阪
[参加者] 今峰正利(CL)、山本善貴(SL)、苅谷敬三、小林和雄、後藤 允、白木貞次、竹中美幸、東明 裕、林 靖子、山田昌孝、梅田直美(入会予定)
[タイム] 久瀬振興事務所7:00=貝月ゲレンデ7:30~7:50ーゲレンデトップ9:10ー尾根分岐10:35ー撤退ポイント11:55ー昼食12:05~12:40ーゲレンデ13:20=久瀬振興事務所14:00(解散)
[地 図] 横山(岐阜11-2)
1月例会山行
兎層山(- 172m) ~ 岩田山(- 270m) ~ 舟伏山(3 262.0m) ~ 西山(Ⅳ 176.1m) ~ 金華山(2 328.8m) ~ 鷹巣山(- 232m)
日本百名山の著者深田久弥氏は、その白山の章の中で、「日本人は大ていふるさとの山をもっている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。
どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままであたたかく帰郷の人を迎えてくれる。」と書いている。
岐阜市民にとって、まさにふるさとの山とは金華山だろう。
低山とはいえ独立峰のようなキリッとした姿と、山頂にそびえる岐阜城天守閣は、時代を超えて変わらない。
私の学校の校歌にもかならず金華山の名があった。
71歳になる私の父は今でも金華山に毎週登り、金華山を愛して止まず、「なぜ金華山は百名山ではないのか?」といつも言っている。
私にとっても金華山は特別に思い入れが強い。
子供の頃から毎日のように遊び場として登り続けた。
岐阜を離れて東京や海外に渡っても、故郷のシンボルマークとして思い浮かぶのは金華山とその脇を流れる清流長良川。
自分の生い立ちとともに、山行活動のルーツはこの山にあると言っても過言ではない。
人には皆、己の心の山があると思う。
金華山は岐阜人の心の山であるとともに、父や私の心の山であり、百名山の一座であることに間違いがないと信じている。
ということで、新年最初の山行に金華山を選んでくれたことは、私の山行のルーツを探す上で大きな意義があったと思う。
リーダーに感謝! 金華山には2つの顔がある。
一つはロープウェイを基軸として、岐阜公園側から山腹西側に設けられた七曲がり、百曲がり、馬の背、冥想の小径、といった金華山登山道オールスター、いわゆる金華山表銀座。
二つ目の顔で今回私達が挑むのは、達目洞を中心とし鼻高ハイキングコース、岐阜城、三角点、東坂ハイキングコース、妙見峠、鷹巣山をめぐるいわゆる裏銀座。
銀座と呼んでも東坂以外はほとんど人がいないけれど、尾根道をずーっと辿っていくとても気持ちのいいトレイルである。
またこのルートは西側に伸びる山々や各務原アルプスまでつなぐことができ、岐阜のロングトレイルは全てがこの道に通じているのである。
今回の参加者は17名。山岳会の山行でも、単独ではなかなかこれだけの人数は集まらない。
金華山というネームバリューと標高も手頃な山がどれだけ人々を魅了するかを物語っている。
メンバーも皆個性的。今日が金華山16777回目という天然記念物級の超ベテラン、低山ハイクだから修行にならんと25kgの重さのザックを背負込む通称「修験者」のおっさん、金華山は子供の頃に登ったきりという人。
私にとっては金華山は日常のトレーニングルートであり、そこを皆で遊びながら登ることに特別の楽しみを感じたのでした。
朝7時に岩戸公園駐車場に集合。
そこから兎走山登山口の春日神社まで4台の車に分乗して移動する。
兎走山の標識はうさぎの絵も可愛らしく、なかなか魅力的だ。
もっとメジャールートになってくれればいいのにと思う。
ただし兎走山の山頂は低く、ほんの一瞬で到着。体を慣らし岩田山から舟伏山に向かう。
岩田山山頂手前の稜線まではかなりの急登。
我々の登りには全く支障ないものの、一般の方が逆ルートで下りで使う場合には相当用心された方がよい。
稜線に出ると後は岩田山を越えて舟伏山までお散歩コースでつなぐことが出来る。
舟伏山は山容もよく岐阜市内からもその独特の形容が美しい山ではあるが、山頂標識がない。
三角点だけがポツリ。
▲舟伏山の三等三角点
せっかくだから山頂標識くらい作ってあげてほしいものです。
舟伏山から一旦市街地に降りる。
降りた地点の日野一号古墳近辺でザックを下ろし、「露天喫茶タケナカ」の営業が始まる。
皆で地べたに座り、竹中リーダーが淹れてくれた美味しいコーヒーとお菓子をいただき、次の目的地、西山~金華山への英気を養ったのでした。
西山への登り口には、民家と民家の脇の空き地?をすり抜けて到達する。
こんなところをぞろぞろと通っていかれては迷惑かな、と思い足早に登山道に向かう。
西山への登山道は「切り立って“いない”岩の道」ということなので、安全かつ路面のバリエーションを楽しみつつ、山頂への歩を進めるのでありました。
▲西山頂上で参加者一同
▲西山の四等三角点
西山から金華山山頂までは鼻高ハイキングコース。
週末はいつも混雑する金華山も、この東の道すなわち裏銀座は閑散としている。
しかし、行程の気持ちよさは表銀座を凌ぐものがある。
岐阜市内で長い稜線歩きを楽しめるのはここくらいではないかな?と思う。
金華山山頂には西山から1時間ほどで到着。混雑する山頂広場を避け、三角点(二等)へ向かう。
ここは展望も無く地味な場所だが、金華山の三角点は知る人ぞ知る場所にあり、到達できたことだけでも感謝。
▲金華山の二等三角点
皆で楽しく昼食を取り、下山を開始したのでした。
下山に使う東坂ハイキングコースは金華山メジャーコースの一つ、岐阜城直下の垂直の岩場が望める好展望のコースである。
この岩場にはハヤブサが巣を作っており、それを知るバードウォッチャーたちが集う場所でもある。
我々もハヤブサの飛翔を見ることが出来た。
東坂を降りると妙見峠。
ここからスタート地点の岩戸駐車場はすぐそこだが、まだまだ時間に余裕がある。
よって、稜線上の西側に足を伸ばし鷹巣山へ。鷹巣山までの登りは100mを超え、皆最後の力を振り絞る。
最後の最後、急登が続き体力の限界を訴えるメンバーも出て来るが、リーダーの叱咤激励で全員が山頂に到着。
鷹巣山は花崗岩で出来た眺望の山。
眼下の切り立った崖や岐阜の全景を楽しみ、大満足して山頂での時間を過ごしたのでした。
鷹巣山から岩戸までは途中から林道を利用して、おしゃべりしながらゆったりまったり下山。
全員無事に予定より1時間早く下山出来ました。金華山。岐阜の低山ですが、考えさせられる事の多い山行でした。
緊張感あふれる登山や雪山を続ける中で、本当の登山の楽しみや山に登る行為のルーツを考えさせられました。
ということで、素晴らしい山行企画ありがとうございました。
[東明 裕 記]
[日 時] 平成29年1月22日(日)
[場 所] 岐阜県岐阜市 岩田~日野~明神洞~長森岩戸(長良川左岸沿い)
[参加者] 竹中美幸(L)、今峰正利、岡田清美、苅谷敬三、神山敬三、後藤 允、篠田喜美子、杉山美智子、竹中佳美、東明 裕、那須哲郎、林 靖子、久田宗昌、堀 義博、水谷嘉宏、山田昌孝、山本善貴
[タイム] 岩戸公園駐車場7:05発=岩田春日神社7:20~7:30ー兎層山7:50~7:55ー 鍋坂峠8:15~8:20ー岩田山8:40~8:45ー舟伏山9:15ー県道9:40~10:00-西山10:30~10:40ー金華山11:40~12:15ー妙見峠12:35ー鷹巣山13:05~13:10ー岩戸公園駐車場13:35~(車回送)(解散)
[地 図] 岐阜北部(岐阜4-3)
1月バリエーション山行(奥越の山シリーズ)
三 ノ 宿 ( 点名 保谷奥、1304.6m 三等三角点 )
当初岩ケ谷山を予定していたが、2年ぶりの大雪に日帰り組は全員キャンセルとなったため行き先を三ノ宿に変更。
冬期幕営訓練も駐車場まで除雪された道の駅しろとりで実施した。
雪は一晩中降り続き、朝の積雪は70㎝程度。
まずは白山長瀧神社で山行の安全祈願をした後、鈴木さんより三ノ宿の説明を受け林道へと向かう。
民家が在るところまでは除雪がなされているが、その先は深雪林道……、ワカンを装着して“いざ!ラッセル”。
鈴木監督の指導の下、東明、山田で交互にラッセルするも、ペース配分や交代タイミングの悪さから最後はバテバテとなり、行程の1/3弱で時間切れとなり撤退。
しかし下山スピードは速く、予定より早く林道合流地点に到着したため雪を利用した支点構築とそれを使用しての懸垂下降の練習。
今回は自分自身の雪山歩行の未熟さをまざまざと思い知らされる山行となり、とても有意義であった。
[山田昌孝 記]
[日 時] 平成29年1月14日(土)、15日(日)
[場 所] 岐阜県郡上市白鳥町長滝
[参加者] 鈴木寛人(L)、東明 裕、山田昌孝
[タイム] 中濃総合庁舎14:00=道の駅しろとり(泊)=白山長瀧神社7:30-林道取付7:40-第一ピーク10:25-第二ピーク11:35(時間切れにより下山開始)-雪上支点作成と懸垂下降訓練12:15~13:05-道の駅しろとり13:35=美人の湯しろとり=中濃総合庁舎16:00(解散)
[地 図] 石徹白(岐阜1-3)、白鳥(岐阜1-4)
12月自然観察会 鶴形山(標高約 360m)
平成28年12月11日(日)
今回の自然観察会は、照葉樹とも呼ばれる各種の暖地性の常緑広葉樹群が生育する州原神社の社叢林で催した。
鶴形山(標高約360m)の山脚部に拡がる常緑広葉樹群は、岐阜県ではほぼ北限に残存する照葉樹の混生林である。
昭和48年に緑地環境保全地域に指定されており、それに先立つ昭和44年に県指定の天然記念物として重要文化財になっている。
一方、州原神社はブッポウソウの繁殖地として国指定の天然記念物となっているものの、ここ半世紀近くブッポウソウの繁殖・鳴き声・姿の記録がない。
再び繁殖地としてブッポウソウが観察されるようになるのであろうか?
鶴形山は古来から洲原神社の御山(奥の院)として多くの神祠があったが、洲原神社に合祀された現在では、登山道の途中の石積み等で往時の名残が確認できる程度になっている。
ただ、シイやカシ類の常緑広葉樹林は社叢林として保存されており、岐阜県内でもこれだけまとまって照葉樹の高木が見られるのは金華山とこの鶴形山斜面だけである。
さて、観察目的の常緑広葉樹林は長良川鉄道の線路脇から不動の滝までの山腹斜面に成立し、ツブラジイ・タブノキ・イチイガシ・クスノキ・ウラジロガシ・ツクバネガシ・ヤブツバキ他が生育している。
このため林内は暗く、下層の植物は少ない。
▲植生について西條講師の説明を聞く
ここでは林内照度と生育植物の関係や、樹種識別の要点を学ぶ。
とくにイチイガシは成木になってから開花・結実することや、カシの仲間でありながら食用になることを知る。
これらの常緑広葉樹林も不動の滝付近までで、滝から鶴形山まではスギ植林地となっている。
また、奥御前神社跡(展望地)にはコウヤマキの樹林とツガやヒメコマツの単木が見られるようになり、針葉樹類の見分け方を学ぶ。
約3時間の観察会は鶴形山山頂で現地解散とした。
参加者の一部は湯の洞山・母野洞方面に自主山行をとり、残りは展望地まで戻り昼食をとった後下山し、14時州原神社にて散会した。
[西條好迪 記]
[日 時] 平成28年12月11日(日) 8時半 ~ 12時
[場 所] 岐阜県美濃市須原
[参加者] 今峰正利、大口瑛司、大脇美代、久野菊子、神山敬三、後藤 允、小島孝子、
西條好迪、白木貞次、白木しづゑ、杉山美智子、竹中美幸、林靖子、早田道治、藤田純江、古田 大、馬渕 等、山本善貴、その他1名
[コース] 州原神社~長良川水力発電所用水路~岩門~今清水神社跡~不動の滝~奥御前神社跡(展望地)~大御前神社跡~別山神社跡~鶴形山(現地解散)
[地 図] 苅安(岐阜3-1)
12月例会山行
鎗 ヶ 先 ( 965.5m 三等三角点 )
春日の谷の奥に、ツンと尖った山が見えます。それが今日登る鎗ヶ先です。
岐阜百山の一つですが、初めてという方、久しぶりという方が多く、メジャーな山かと思いきや皆さん楽しみにしてみえました。
最初の計画では9時にもりもり村に集合でしたが、夕方から雨の予報なので集合時間を1時間早めました。
今日は昨年入会した方、今年入会した方、今度入会する方と40代3人が参加され活気があります。
自己紹介の後車4台に乗り合わせ、美束の六社神社へ移動しました。
今日は寺本の閑窓寺前から登り、北ルートの市瀬へ下りるミニ周回コースです。
「この辺りの集落、昭和の匂いが残っていて何だか懐かしいなあ」気持ちよさそうな会話が聞こえてきます。
が、それも少しの間。登山口からいきなりの急登で、みんな息が上がってすぐに一本取りました。
寒い時期は余計にですが、歩き出しの30分を特にゆっくり歩きたいものです。
人の体も昔の車と一緒で、暖気運転が必要です。
▲落ち葉一杯の明るい尾根での休息
「歩きます」というメッセージが体中から脳にも行き渡るまで。
落ち葉がいっぱいの明るい登山道は楽しく、会話も弾みます。
急登が続き岩場を通り過ぎ、向きを北東に変えると、やっとなだらかになり山頂に到着です。
10時を回ったばかり、遅い朝食なのか早い昼食なのか分かりませんが、取り敢えずお腹を満たします。
山頂は以前よりも切り開かれていて、眺めが良くなっていました。
2月に登る貝月山や国見岳、虎子山も綺麗に見えました。
11時、灰色の雲が空を覆いだしたので下山開始です。
誰が言ったのか「今日の山行のメインテーマ(?)はナメコ採り」に向けて、下りは皆の目があちらこちらを鋭く見回します。
美味しそうなナメコ、クリタケを見つけると、皆で収穫しました。
ナメコハンターと名付けられてしまいましたが、これで今晩の食卓が賑わいます。
あっという間に下山、12時でした。
落ち葉を踏みしめながら歩くのは楽しいものです。
皆と一緒に歩けば更に楽しいです。
また、美味しい収穫があれば尚更です。
そして、この山へ以前もりもり村の入口辺りから尾根に取り付いて登ったという話を聞くことができました。
また、ネットでは鎗ヶ先から鍋倉山へ周回した記録があり、山頂からちょっと見ると行けそうな感じがします。
歩いてみたいルートがまた見つかりました。
集合場所に戻ると、鹿肉のお土産もあり、「今夜はジビエ料理だ!」と喜ぶ人もいます。
今日は本当に収穫の多い山行でした。
〔竹中美幸 記〕
〔日 時〕 平成28年12月4日(日)
〔場 所〕 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日美束
〔参加者〕 竹中美幸(L)、神山敬三、後藤 允、篠田喜美子、杉山美智子、東明 裕、林 靖子、藤井法道、馬渕 等、山田昌孝、山本善貴、塩入英樹(入会予定)
〔タイム〕 もりもり村駐車場8:00=六社神社8:15-閑窓寺奥登山口8:35-鎗ヶ先10:10~10:55―六社神社12:15=もりもり村12:30(解散)
〔地 図〕 美束(岐阜12-1)