山岳講演会  [演 題]  黒部横断2014 - 十字峡を越えて八ツ峰へ -  [講 師]  立山ガイド協会会長  上田 幸雄 氏 (平成28年11月11日 講演)

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山岳講演会

 [演 題]  黒部横断2014 - 十字峡を越えて八ツ峰へ -
 [講 師]  立山ガイド協会会長  上田 幸雄 氏

支部長挨拶と講師紹介
皆さんこんばんは。日本山岳会岐阜支部の支部長をしています高木です。今年で43回目となりますが、これから山岳講演会を始めます。昨年は飛騨方面の岐阜県警山岳警備隊の話でしたが、今回は上田幸雄さんをお迎えして「黒部横断2014」というタイトルでお話ししていただきます。
日本山岳会では毎年「山岳」という本を発行し会員に配布しています。その15年度版にこの記録が載っていまして、すごいなと感心しました。それで富山支部の山田支部長に電話して上田さんを紹介してもらいまして、今回の講演となったわけです。
上田幸雄さんは1967年愛媛県のお生まれで49歳、まだまだお若い方です。職業は日本山岳ガイド協会認定の山岳ガイドで、立山ガイド協会に所属しています。
略歴ですが、高校までは登山に関係のない生活を送ってきました。北海道の帯広畜産大学に進んで山岳部に入り、4年間北海道の山に通ったということです。その後、富山県に移り住んで、地元の山を中心に登山活動を続けてきました。中でも剱岳を核とした黒部横断に魅力を感じ、年末年始を中心に長期登山を行ってきました。
これまでの主な長期登山としては、立山~槍ヶ岳単独行、硫黄尾根~槍ヶ岳~北鎌尾根単独行、鹿島槍~十字峡~源次郎尾根、扇沢~針ノ木峠~平の渡し~ザラ峠~千寿ヶ原を14時間でスキー横断、扇沢~黒部別山第一尾根~立山、ブナ立尾根~水晶岳~上ノ廊下横断など幾多の厳冬期の登山をしてこられました。それでは、厳冬期の風雪やラッセルのことなどお話ししていただきます。

上田幸雄氏の講演
皆様はじめまして、よろしくお願いします。上田といいます(拍手)。こんな大勢の人の前で話すのは何年かに1回ということで、非常に緊張しています。口も上手く回らず聞きにくいこともあると思いますが、1時間半の間よろしくお願いします。
私の略歴については先ほど高木支部長が話された通りですが、ガイドとしては5、6年しか経験がありません。それまでは会社で働きながら山に登っていて、25歳頃から黒部横断に取り組みました。何がきっかけだったかというと、和田城志さんという登山家がおり、和田さんが書かれた文章を読んで、地元の劔岳がすごい山だということを知り、僕も和田さんのような登山をしたいと思い取り組んだのです。今、49歳ですから25年程取り組んでいて、実際に横断したのは12、3回くらいですから、大体2年に1回の割合です。
今回お話しするのは、2014年の年末に行った横断です。ざっと大体のコースを説明しますと、大町の日向山ゲートから歩き始め、扇沢から岩小屋沢岳の新越尾根を登ります。岩小屋沢岳の北西尾根を十字峡に向けて下り、十字峡で黒部川の本流を渡ります。その後、黒部別山北尾根を登り、劔沢に降りて、八ツ峰Ⅰ峰のⅢ稜に取り付きます。そして八ツ峰を縦走して劔岳に登り早月尾根を馬場島に降りました。メンバーは澤田実、成田賢二、中島健郎、そして私・上田幸雄の4人、私が最年長です。この時の計画は実働14日間、予備日10日間、合計24日間でしたが、実際は12月19日から29日までの11日間で登っています。

日向山ゲートを35㎏前後の荷物を担いで出発しました。新越尾根は雪が締まっていてほとんどラッセルが無く、アッという間に岩小屋沢岳の頂上に着きました。本来なら後立山の稜線に出ると正面に劔岳がバーンと見えて、何て遠いのだろうと絶望的な気分になるのですけれど、今回は幸いなことにガスっていて見えませんでした。
その先、岩小屋沢岳の長い北西尾根を下っていきます。正面に2000mちょっとの黒部別山が立ちはだかり、その間に黒部川が急激に切れ込んでいます。黒部別山の裏側に劔沢が食い込んでいて、その向こうに劔岳があります。劔沢の奥には劔沢大滝という幻の大滝があるのですけれど、僕は見たことがありません。北西尾根の末端は鋭く切れ落ちていて、その真下に十字峡があります。

テント生活の話をしますが、今回は本体+外張りと二重にしています。シングルで使っている人もいますが、保温性とかを考えると多少重くてもやはりダブルウォールにして使うようにしています。自然破壊と言われると困るのですが、樹木がある所では雪をならした後に木の枝葉を敷き詰め、その上にテントを張ります。そうすると断熱効果があります。皆さんも経験があると思いますが、雪の上で生活しているとどうしても真ん中がへこんでくるのですね。こういう所では出来るだけ快適に生活出来るように工夫しています。ノコギリは必携です。藪がひどい所では荷物が引っかからないように、先頭は邪魔になる枝を切り払いながら進みます。
冬山を始めた学生の頃は、テントの中でアウター(ナイロンヤッケ)は着っぱなしでいました。先輩達がそのままでいたので、考えなしに着ていたのですが、テントの中でストーブを焚いても濡れたアウターは全く乾かないのですよね。燃料が有り余るほど有れば別ですが、そんな余裕はありません。濡れたアウターは翌日の行動の時になると凍るのですから脱いでしまいます。薄着になり肌着を乾かしてから、ミッドウェアを着ています。
もう一つテント生活の話をしますと、ナルゲンという水のポリタンクを持っていきます。折りたためて小さくなるものでプラティパスもありますが、何故ナルゲンの方がいいか分かりますか? 男性だったら分かるということで、その先は言いません(笑)。

話を戻しまして、北西尾根の末端に来ました。尾根の末端は急に落ち込んでいますので、懸垂下降をすることになります。60mのロープを使っていますが、2本繋いで使うと結び目が藪に引っかかったりして回収出来なくなる可能性があるので、1本のロープを半分に折り返して30mで使っています。最後だけは、どうしてもアンカーがとれなかったので60m一発で降りています。荷物が重いので、担いだままで懸垂すると身体が後ろに持って行かれてしまいます。それで荷物の重さも下降器に加重されるシステムにして降りています。
雪稜の懸垂下降でアンカーがない場合は、土嚢袋に雪を入れそれを埋めてアンカーにします。消防団とかで使っている砂を入れたりする土嚢袋ですが、60㎝×90㎝くらいのちょっと厚めで大きいものを1人1枚くらいずつ持って行きます。それはテントの中で荷物を整理するときにも使いますし、水を作るための雪を入れておくとか色々使えます。
この時期は十字峡の200m上流にスノーブリッジが出来て、本流を渡れるのです。何年か前にここを通った僕の友人から「ここにスノーブリッジが出来るから渡渉しないで渡れるよ」と聞いていたので、今回このポイントを選んだのです。けれど懸垂を始めた時は下が全く見えません。大分降りてからやっと見えてくるので、降り始めのポイントを間違えると、そこに降りられなくなります。すると登り返すという事態になるのですが、今回は見事にピンポイントでスノーブリッジに降り立つことが出来ました。
スノーブリッジを渡って反対側の斜面を登ります。この日は雪が降っていたので上からチリ雪崩がドンドン落ちてきます。けれどそこで怯んでいては家に帰れなくなりますから、登るしかありません。かまわず登って行きますが、雪もドンドン降ってすぐ積もってしまうので、あまり長く居たくない所でした。
悪場を登り終えて一安心して、雪の十字峡を見に行きましたが、やはりすごい所ですね。左から劔沢が入ってきて、 (撮影 中島健郎氏)
向かい合って右から棒小屋沢が本流に入っています。左側の劔沢に架かっている吊り橋は雪が2mくらい積もっています。棒小屋沢の向こうに鹿島槍からの牛首尾根が降りてきて、2~3月になると本流にスノーブリッジが出来て渡れるのですが、この時期は出来ていません。
皆さんご存知だと思いますが、佐藤祐介達は敢えてスノーブリッジが出来ない時期とか出来ない場所とかで渡渉しています。一応カッパとかを着ているそうですが、全裸になって腰や胸までつかって本流を渡渉しています。衣類は防水のスタックザックに詰めて反対側に渡ります。そしてロープで衣類を引き寄せ着替える、ということらしいのです。

次の日から怒濤のラッセルが始まりました。十字峡までは大したことなかったのですが、この先は頭の上まで雪があります。傾斜の影響もありますが、平坦な所でも胸まではあります。そうして黒部別山の北尾根を登り、北峰に近付きました。このあたりまで来ると黒部ダムが見えます。ということは携帯電話が通じるということなのです。十字峡の辺りは電波は全然通じません。

ラッセルの話をしますと、1人目・2人目はただラッセルするだけです。3人目くらいから足場となる雪が固まってきます。荷物を置いてラッセルしてロープを張って、また戻って荷物を担ぐという作業を延々と繰り返します。澤田さんは黒部横断は水平のビッグウォールだと表現しました。面白いなと思いました。派手さは無くただただ忍耐です。泥臭い、雪の上ですから泥は無いのですが(笑)、泥臭い登山です。
ちょっと疲れてきました。どなたか質問有りませんか?

Q;食糧は主に何を食べていますか?
A;そうですね、基本はアルファ米です。大体1人1日300gにしています。朝150g・夜150 gと2回に分けて食べます。それに味付けにふりかけとかスープ類みそ汁等ですね。スペ シャル的な感じではペミカンです。昔はラードでコテコテに固めていましたけれど、今は 普通にジャガイモとかニンジンと一緒に炒めています。それをおにぎりみたいにして持っ ていき、鍋にぶち込んでカレーとかで食べます。
やはり、お腹が一杯にならないと動けないし、食事がまずいと楽しみが無いのですね。 2週間くらい山にいると、我慢だけじゃすまない部分というのがあるので、出来るだけお 腹が満たされるだけの量を持っていくことにしています。最近では真空パックのチャーシ ューとかベーコンとかの肉の塊を持っていくとかしています。
昔、お酒は持って行きませんでした。酒持っていくなら米持っていけ、という考えだっ たのです。実は酒は好きで、飲むと暴れるので気をつけて下さい(笑)。ここ何年かは酒も 持って行ってます。当然最後までは無いのですけれど、少し楽しみがあるとテント生活も 豊かになります。

というところで、いきなり劔沢まで降りて来ました。劔沢を渡ります。夏は橋が架かっていますし、もう少し雪が降ると劔沢の本流も雪で埋まってしまうのです。これから八ツ峰のⅢ稜に取り付きます。八ツ峰は普通に登っても末端から4,5日くらいかかるのです。僕は八ツ峰を登るのは2回目で、前回は20年ほど前ですけれど、凄く天気に恵まれてラッセルがほとんど無く、Ⅳ稜から頂上まで4日かかりました。今回の天候とか雪の状態だとそれ以上かかるかなという話をしていました。
八ツ峰はその後に2回計画したのですが、先の天気が悪い予報だったので突っ込まずに逃げて、立山の方へ登る眞砂尾根という簡単な尾根を登って帰ってきました。今は携帯で天気予報が分かります。ラジオは昔からありましたが、情報量が違います。外れることもありますが、気象庁などの予報はある程度正確です。
けれど、それにあまり頼りすぎると、天気が悪いから止めようかということになってしまう。そこが難しいところです。折角休みをとって、食糧は10日分も予備を持って、重い荷物を背負ってここまで来たのです。何の為にここまで来たのだという思いがあるので、今回は逃げないで行ってみようという気持ちでした。取り付く前の予報では明後日から2日間くらいは良いということだったので、それを信じて取り付くことにしました。
天気は期待通り良くなってきたのだけど、目の高さまでのラッセルが続き、なかなか進まないのです。ただ、良かったのは4人という人数です。これまで大体3人が多かったのですが、今回は4人という人間が揃ったということで、ラッセルの負担も減ったしそれなりにスピードもあがったということです。

八ツ峰は劔岳北方稜線の「八ツ峰の頭」から別れ、順にⅧ峰からⅦ、Ⅵ、Ⅴ、Ⅳ、Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ峰と降りてきます。末端のⅠ峰でも2500mくらい有り、写真を見れば分かりますが、木など一本も立っていないのです。Ⅰ峰から劔沢に向かってⅠ稜Ⅱ稜Ⅲ稜Ⅳ稜と枝尾根が出ていて、そのⅢ稜に僕達は取り付きました。
取り付いた次の日の昼過ぎにⅠ峰に到着しました。登る時はアンザイレンで皆繋がっています。ロープの末端はどうなっているかという疑問を持たれた方もいると思いますが、実は末端はザックに括り付けているだけなのです。雪に穴を掘ってアンカーとったりする時間が無いので、ラストのザックに括り付けてアンカー代わりにして、皆ロープに繋がっています。何かあったら反対側に落ちるという方式で登っているのです。一蓮托生というやつですね。
Ⅰ峰から振り返ると、延々とラッセルの跡がついています。自分達がつけたトレースしか無い。良く頑張ったなと思います。それを見るのが冬山の醍醐味ですね。振り返って、あぁまだこれだけしか登っていないとガッカリすることもあります。昼頃になっても昨晩のテントの跡が見えて、たった数百mしか登っていない。「絶望感」、これがいいのです。
この日から翌日は素晴らしい天候で、周囲の山は全て見えます。1週間以上かけて苦労して登ってきたけれど、これだけの景色を見ることが出来れば、それだけの価値はあります。
Ⅰ峰から本来なら次にⅡ峰へ登るのですけれど、かなり鋭いナイフリッジになっていて非常に時間がかかることが予想されました。それでⅡ峰はトラバースすることにしました。雪崩れてもおかしくない斜面ですが、安定していると判断して入りました。皆ロープ     (撮影 中島健郎氏)
に繋がっていますが、全く意味が無いですね(笑)。結局Ⅱ峰は巻いちゃいました。

Q;雪崩は大丈夫だと判断した根拠は何でしょうか?
A;Ⅰ峰へ取り付いてみて、雪を踏んだ時の感触ですね。それと1週間山に入っていたのだ から、その間の雪の降り方を知っています。それらを総合的に考え判断しています。

Q;写真を見ているだけでも怖くて仕方ないですね。
A;だから念のためにロープをつけているのです(笑)。
Q;八ツ峰にテント場の適地はあるのでしょうか?
A;夏でないので八ツ峰にテント場はありませんし、お金もいりません(笑)。というのは冗 談ですが、過去の記録から大体このあたりが適地だと分かっています。僕自身も1回登っ ているので大体の見当はつけていたのです。けれど、記録に残していれば別ですが、人間 の記憶というのは曖昧なものです。自分の都合のいいように考えているので、行ってみて アレッということが多いです。

一般的にテントの設営は現場判断のことが多いですね。時間と天候とかの兼ね合いです。その日の天候と次の日の天気予報によって行動をどうするか、それじゃ今日はこの辺で止めようかとか考えます。例えば次の日の天気が悪い予報の時、樹林帯の中の風の弱い所で安眠出来るように考えます。行動する時に条件が悪いのは仕方ないですけれど、テントで休む時は出来るだけ楽したいですからね。ただ八ツ峰に入っちゃえばそういうことも出来ませんから、運を天に任せるしかないのです。幸い今回は天候が良くて、僕たちは恵まれていました。
雪洞を掘れば風とか降雪の影響が少なくなります。ただ雪洞を掘るにしてもタイミング的にいい場所が無かったと思います。雪洞を掘るには時間がかかるし労力もかかる。ウェアも濡れるし大変なのです。だから雪洞は嫌だという人も多いのです。
雪洞の中は気温自体はそんなに低くはならないけれど、雪洞内で火を焚いても中の気温が上がらないので寒いのです。冷え冷えするのですね。だから僕たちは中でテントを張るという前提で雪洞を掘ります。4人用の雪洞なら2m×2mくらい掘れば何とか寝られるのですけれど、テントを張る場合、作業スペースなどもいるので、より大きく掘らなければなりません。高さも勿論そうです。そのかわり非常に快適です。風の影響も無く、テントの中でストーブを焚くと熱帯です。

八ツ峰もⅤ峰、Ⅴ・Ⅵのコル、Ⅵ峰と越えていきましたが、Ⅶ峰はかなりのナイフリッジになっています。それを越えてⅧ峰とのコルまで来ましたが、この先の悪天が予報されているので、とにかく早く下山しようというこになり、コルから降りて長次郎谷を登りました。そしてⅧ峰と八ツ峰の頭は巻いて池ノ谷乗越に出ました。ですから八ツ峰は完全には歩いていないことになりますが、すでにⅡ峰を巻いていますから、その時点で完全縦走ではなくなっていたのです。
そうして剱の頂上に着きましたが、まだ大きい荷物を担いでいます。予備日を入れて24日分の食糧を用意して、半分の日程も消化していない。順調に進んできているので食い減らしをしようと思うのですけれど、人間は不思議なもので少ない食糧になれてくると胃袋が小さくなってあまり食べられなくなるのです。 (撮影 中島健郎氏)
頂上に着いた時は夕暮れになっていました。富山湾の向こうに能登半島が連なっています。何処まで陸地なのだと思うほど延々と連なっています。
クリスマス頃に入った学生達のトレースも少しは残っていたので、その日のうちに早月小屋まで降りることにしました。当然夜になりますが、天気にも恵まれ富山平野の夜景を眺めながら降りるというナイスな夜でした。吹雪いているとヘッドランプではとうてい歩けません。そして次の日、麓に降り立ち、富山湾のベニズワイガニで祝杯を上げたのです。
以上で黒部横断の話を終わりますが、後は質問を受けたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

Q;雪山の醍醐味はラッセルだと思います。スノーストックを使っていると思いますが、具 体的に手順を教えてください。
A;そうですね、ストックも使っています。雪は足下に崩して踏み固める。踏み固めるには 余るほど量が多い時は、傾斜を利用して脇から下に流して落とします。とにかくトップは 前へ進む、それが仕事です。二人目がそれを固めて歩けるようにする。ラッセルの高さに よっても違いますが、目の高さほどの雪だとやはり二人がかりでやらないと難しいですね。

Q;時間的にトップはどれくらいで交代しますか?
A;年令に反比例します(笑)。というわけでもありませんが、やはりポイントというのがあ ります。それに、その人の体力とかザックを置く場所とかメンバーの位置関係のタイムラ グによっても変わります。
トップは自分の判断で替わりますが、実はトップが一番楽なのです。いや、二番目かな。 とにかく荷物を持っていないですから。荷物を持っているのが一番えらいですから、出来 るだけ空身で楽をしたいのです。それで、皆競ってトップを行きたがります。

Q;冬の劔では3日以上晴天が続くことはないと聞いていましたが、今日のお話や写真を見 れば、かなり天気は良さそうに感じました。このように良い時もあるのでしょうか? 最 近は気候も変わってきたように思いますが、実際の天気具合はどうだったのでしょうか?
A;基本的なことですが、天気の良い時しか写真を撮っていないので、そう感じられると思 います(笑)。というのは冗談ですが、確かに天候には恵まれていました。だから、停滞も なく10日間で抜けられたということです。昔の記録とかを読むと、気象条件など大分変わ ってきたなと思います。特にここ2、3年はそうですが、皆さんも最近の気候はおかしい なと感じていると思います。去年なんか全く雪が降らなかったですし。
以前は真冬の北アルプス、特に立山、劔、白馬あたりでは1週間降り続いて2mを越す 積雪というのは普通でしたね。最近は少なくなりました。僕の記録の中には一晩で1mも 積もりテントが潰れそうなので一晩中除雪していたというのが何回かありますが、今回は 50㎝積もったのが最高で、夜中に除雪することはありませんでした。

黒部ダムへ行く関電の黒部トンネルが冬季閉鎖されて15年くらいになると思いますが、 それ以前はトンネルを歩いて、ダムから直接対岸に取り付くことが出来ました。普通の社 会人のパーティでも10日位の休みをとれれば、八ツ峰とか源次郎とかをやれたのです。そ れで一冬に10パーティとかが入っていましたが、トンネルが閉鎖されて以降は一冬に1パ ーティかせいぜい2パーティしか入らなくなった。というか、入れなくなったのです。
気象の話に戻しますと、天気的に見ても山に登りやすくなっています。移動性高気圧が 来て晴れるという確率が増えてきたという気がします。

Q;ラッセルがほとんどのように思いましたが、アイゼンをつけた個所はありますか?
A;当然アイゼンもつけています。ラッセルはワカンがほとんどです。ただ、アイゼンとワ カンを併用することはありません。アイゼン、ワタンはそれぞれ単独で使っています。

Q;燃料は何を使っていますか?
A;25年前に始めた頃はガソリンストーブばかりでしたが、最近はガスストーブも併用して います。バックアップという意味ではないですけれど、故障した時のことも考えています。 それに、ガスは付けたり消したりする時使いやすいのです。

Q;夜のテント生活の楽しみであるアルコール類はどの程度持って行っていますか?
A;人によって違いますけど、僕は500mlか多くて1リッター程度ウィスキーや焼酎を持って 行ってます。

Q;皆さん、体重はどれくらい減りましたか?
A;よく聞かれるのですけど、ほとんど変わらないですね。前に話しましたが、1日にアル ファ米300g食べています。以前は200gにしていたので、腹が減って腹が減って。それで 大分減っていましたけど、今は大丈夫です。年と共に新陳代謝が低下していることもある かも知れません(笑)。

Q;最近は携帯電話が必需品ですが、寒いとバッテリーの消耗が激しいと思います。予備の バッテリーなどはどうされましたか?
A;携帯は日中は切っていて、夜テントの中で情報を集める時だけ電源を入れます。ですか らほとんど消耗しません。予備のバッテリーを1個持っていれば充分です。僕はガラ系を 使っていますが、スマホを使っている人も同じような状況でした。

Q;50年ほど前、十字峡の付近で黒部の本流をワイヤーでかごに乗って渡った記憶があるの ですが、今はどうなっていますか?
A;そういえば25年前最初に黒部に入った頃、鹿島槍の牛首尾根の末端から剱側へワイヤー が架かっていたと思います。今はありませんけれど。
Q;私は10日間も冬山に入ったことがないので一般的な質問をさせていただきますが、狭い テントの中で同じ仲間と何日も過ごす秘訣は何でしょうか? また、ラッセルが趣味だとお っしゃってましたが、ラッセルの醍醐味は何でしょうか?
A;テント生活をうまくやるコツはやはり我慢することですね(笑)。夫婦生活と一緒だと思 います(笑)。
ラッセルは確かに好きです。振り返って自分達の足跡しかないというのが醍醐味と言え ますね。冬山で他人のトレースを辿っても、半分も面白味が無いと思います。自分でラッ セルすることに価値があると思っています。

Q;食糧とか燃料とかはデポしないのですか?
A;昔はしていました。天候のこともあったし怖かったのですが、最近はしなくなりました。 デポするのはやはり反則だと思います。昔と較べてテントも軽くなった。装備も軽くなっ た。食糧も軽量化されている。そんな中でデポするというのは、人間として退化している ことじゃないですか。50キロの荷物をキスリングで担いでいた頃は仕方なかったと思いま すが、今は反則だと思います。
それと、一番の原因は面倒くさいのです(笑)。デポしに行くのも面倒だし、再デポした デポ缶を回収しに行く手間もいる。ということでデポはしていません。

時間が来ましたので、これで私の話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。(拍手)          (平成28年11月11日 講演)

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