山岳講演会

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山岳講演会

[演 題]  私と山岳警備隊 -遭難現場報告-
[講 師]  岐阜県警山岳警備隊飛騨方面隊隊長  谷口 光洋 氏

(はじめに)
こんばんは。岐阜県警山岳警備隊飛騨方面隊の隊長をしています谷口と申します。私は岐阜県警ですが、富山県警にも谷口凱夫(かつお)さんという人がいて、よく間違われます。知っている人もいると思いますが、富山の谷口さんはものすごく活躍された人です。富山の熊といわれるようにすごく大きい人で、それに較べ私は岐阜の猿といったところです。富山の谷口さんは富山県警山岳警備隊を作られたような人ですが、私は現場ばかり歩いてきた人間です。昭和51年に入隊してから40年間、主に北アルプスを中心に救助活動をしてきました。
今日は山岳会の方ばかりでないということで、私たち山岳警備隊はどんなことをしているのかをあまり知らない人も ▲講師の谷口光洋氏
多いと思います。それで3、4年前に放映したビデオを用意してきました。20分程度のものですが、最初にそれを見ていただき、その後でお話ししようと思いますのでよろしくお願いします。

BS-TBS制作   『夢の扉』より       2012年10月18日 放送

500人を救命! 山岳レスキューを変えた男  谷口光洋
一刻も早い救助、1秒でも早く命をつなげる救急道具!
レスキューハーネス(RESCUE HARNESS)

錫杖岳での救助活動の様子
・40代女性が岩場から滑落。へりの近づけない岩場の途中の岩棚でパーティの仲間と一緒  に救助を待つ。日没まで2時間20分。時間が無く、救助を急がなければならない。
・谷口隊長の決断で、ヘリの近づけるギリギリの所で救助隊員を下ろし、そこから救助に  向かう。上からはパーティの仲間が遭難者だけを担ぎ下ろすことにする。
・1時間半後、どうにか遭難者が隊員の待機する場所まで下ろされてくる。
・すぐにレスキューハーネスを装着。遭難者を包み込み3カ所を止めるだけなので素早く  装着出来、隊員と共にヘリに収容。無事日没前に救助出来た。
・谷口の開発したレスキューハーネスは、多くの遭難者達の命をつないでいる。
谷口の話
・無事助けられた遭難者からのお礼の手紙の紹介、残念ながら助けられなかった遭難者の  手記の紹介
・「生きて帰れたらああ良かったなと喜びますし、力及ばなかった時は本当に寂しい気持ち  です。山を愛する者が山で命を落とすことが無念でなりません。山岳遭難が1件でも少  なくなるよう、僕たちはこれからも頑張っていきます」
絶景!北アルプスの四季
・谷口が一番好きな山は地元の穂高岳
・穂高岳に毎年多くの登山者が訪れる理由は四季の美しさにある
・春の雪解け、初夏の新緑、秋のあざやかな紅葉、白銀の冬。そして夜は今にも降ってき  そうな満天の星
山岳警備隊入隊の頃の話
・「入隊した動機は高校生の時、山で目にしたある光景です。登山中にたまたま事故を目撃  しました。山岳警備隊の人がサッと現場に来て、遭難者を背負ってパッと救助していく  姿がものすごく格好良かったのです。こんな人の命を助ける仕事があるんだな、自分も  やりたいな、と思いました」
・昭和51年、神岡警察署で山岳警備隊に入隊。3年先輩の長瀬初彦隊員から登山や救助に  関する色々なことを教えてもらった。
・その長瀬隊員が昭和52年5月4日、救助活動の途中に墜落し死亡。その日北穂高岳の滝  谷で滑落事故が発生し、長瀬隊員達は救助に向かい谷口は穂高岳山荘で常駐していた。  8時間後「滝谷で隊員が落ちた。応援を頼む‥!」という無線を聞く。いやな予感を振  り払うよう現場に駆けつけたが、やはり長瀬隊員だった。落石をよけようとして転落し  たのだ。人を助ける厳しさを谷口は胸に刻んだ。
・谷口が入隊した1970年代の山岳救助は民間の救助隊、特に山小屋の従業員が中心だった。  警察官の救助道具は十分でなく、救助に当たることはほとんど無かった。(穂高岳山荘   2代目主人 今田英雄氏の話)
・当時はザイルを遭難者の体に巻き付けて救助していたが、ザイルは重いし背負うのも背  負われるのも大変で、ヘリに吊り上げるのにも手間や時間がかかった。
レスキューハーネスの開発
・谷口が山岳ヘリ救助の先進国であるヨーロッパに研修旅行に行った時、フランスやスイ  スの山岳救助隊が、これまで見たこともないヘリ救助専用の道具を使っているのを目に  した。
・自分達で工夫して道具を作っていることに一番感心し、道具が無かったら自分達で作れ  ば安全なものが出来るのだと考えた。そして、急峻な山でも遭難者を安全に背負い、そ  のままヘリで吊り上げられる道具の開発を思い立った。
・登山用具メーカー社長の高橋和之氏と、山岳救助専用のハーネス作りに取りかかった。  何も分からない手探りの中、試作し、現場で試し、さらに改良を重ねること10年、つい  に最強のレスキューハーネスが完成した。
・レスキューハーネスのポイント
①隊員と遭難者の姿勢が常に安定していること
②短時間で着脱できること
③すばやくヘリコプターで吊り上げられること
・装着はいたって簡単。遭難者を背中から包み込み、両脇の下と股下から出ている3本の  紐の先をカラビナで繋ぐだけ。
・レスキューハーネスはこれまでおよそ150人の命をつないできた。
・今年(平成24年)4月、谷口は山岳警備隊では全国で2人目の警察庁指定広域技能指導  官(専門分野で卓越した技術・知識をもつ職員)に選ばれている。36年間の山岳救助の  実績が評価されたわけだが、これからはその技術を全国の後輩達に指導していく使命を  背負っている。
・後継者として指導教育している入隊11年目の陶山隊員には、レスキューハーネスの改良  という大役を任せている。
夜中の救助活動の様子
・夜7時に遭難の一報が入る。現場は滝谷で滑落事故のようだ。遭難者は全身打撲と骨折  で動けない様子。
・車で30分走り、その先険しい山道を1時間登ったところに遭難者がいる。翌日は天気が  悪そうなので今晩中に救助しなければ危険な状態になると判断し真っ暗の中を出発。
・9時頃に遭難者を発見。30代の男性で、午前11時頃落ちて倒れていたところを通りかか  った登山者が見つけ通報してくれた。もし誰も通らなかったら命の心配がある。見つけ  てくれた人のおかげで救助できた。
・レスキューハーネスで交互に遭難者を担ぎ、谷口の先導により3時間かけて下山。午前  0時頃無事救急車で病院へ搬送した。
・今年(平成24年)41件目の遭難で、谷口は又1人命をつないだ。
エピローグ
・10年前に穂高岳で遭難し救助された人の感謝の言葉
・遭難死した長瀬隊員の未亡人の感謝の言葉
・「そう言ってもらうと本当に有り難いですね。この仕事をやっていて良かったなと思いま  す。自分達で作れば良いものが出来ることが分かったので、ハーネスだけでなく他の道  具も改良していきたいですね」
・命をつなぐレスキューハーネス。1秒でも早く、1人でも多くの命を救いたいという思  いをつないでいく。                           (終)

どうも有り難うございました。このビデオを作った当時は照れくさい気持ちでしたが、いまではいい想い出になっています。山岳警備隊の事を少しは分かってもらえたと思いますので、これからお話しをしていきます。

(入隊の動機)
最初に、映像にもありましたが山岳警備隊を志望した動機について話します。昭和48年の夏、高校生の時に友人と2人で槍穂高を縦走していました。キレットにさしかかると、当時南岳小屋を経営していた沖田さんが1人で遭難者を救助されていました。手伝おうとしたのですが、「もうすぐ警備隊が来るからいいですよ」と言われ、しばらく様子を見ていました。そしたら南岳の小屋の方から警備隊の人が2人サーッと来て、遭難者を背負って、今から思えば確保もあまりせずに、すごい速さで南岳の方へ梯子を上っていったのです。「なんてすごい人達なんだろう。それにかっこいいし人を助ける仕事だし、自分もやってみたいな」と思いました。
その当時「山と渓谷」とか「岳人」とかをずっと見ていましたし、二見書房の本で警備隊の手記とか民間救助隊の手記なんかを読み「この仕事がやりたい、そのためには警察官になろう」と思い、昭和50年に三田洞にある警察学校に入りました。1年間そこにいて、昭和51年春に神岡署に配属になりました。今は上宝村は高山市に合併されたので高山署が管轄していますが、その当時は北アルプスの警備は神岡署が管轄だったのです。35人くらいの小さな署で、希望すれば誰でも山岳警備隊に入れてくれたので、すんなり入れました。大変嬉しかったです。
(初出動)
初出動はその年の4月中旬でした。一月ほど前に西穂の独標付近で行方不明になっていた人が、稜線から400mくらい降りたところで発見されたのです。遺体を収容するため丸山あたりから降りて行くのですが、初めてアイゼンとピッケルを使って現場に向かいました。急な所はアイゼンを使いますが、皆グリセードで降りて行くのです。きついことをするなと思っていたら、半年程前に入った先輩が「俺には無理だから帰る」と1人応援を頼んで、西穂山荘へ戻っていきました。
他の隊員で現場に行きましたが、遺体は死臭がひどく顔はつぶれ日に焼けて真っ黒でした。すぐにシートでくるんでスノーボートに乗せました。ロープウェーの真ん中の駅に運ぶ予定だったのですが、ボートが滑らず時間がかかり、夕方になっても半分くらいしか進みません。立ったまま非常食を分け合って食べ、ヘッドランプを頼りに夜通しスノーボートを引きました。明け方から雨が降ってきて、私個人としては「そんなに急いで下ろさなくても、次の日にやればいいのにな」と思っていましたが、いずれにしても大変な仕事を選んだな、という気持ちがありました。
朝6時頃に仲間が応援に来ました。8時頃にロープウェーの中間駅付近に来ると、家族が待っていました。60才くらいの父親と思われる男性が走ってきてボートにひざまづき「○○チャン寒かったろう。皆が連れてきてくれたんだぞ。良かったな」と言ってから涙も拭かず「皆さん有り難うございました。息子はもう戻って来れないのではないかと思っていました。夜通し歩いてくれたのですね。本当に有り難うございました」とお礼を言われました。
私はそれで夜通し歩いた意味が分かりました。待っている人がいるのだから、出来るだけ早く連れて帰るのが務めなのだと分かりました。初めての救助で大変でしたが、お父さんのその言葉を聞いて疲れも吹っ飛びました。「何と感謝されるやりがいのある仕事なんだろう。これなら続けていけるな」と思いました。
当時は警備隊の成長期みたいな時期で、民間の山岳会の人に教えてもらいながら救助活動をしていました。夏は肩を貸して連れて来たり背負ったりしていました。亡くなった人は二つに折って背負子に括り付けて背負っていました。冬はスノーボートがありますが、いずれにしても時間がかかることが多く、救助される方も大変ですが救助する我々も負担が重く、背負っている途中で命を落とされるということも結構あり、辛いことも多かったです。
現在はヘリと携帯電話の普及で、ものすごく素早い要請とヘリレスキューが出来ます。ヘリから70mのホイスト(ウインチ)で吊り上げできますから、たいていの場所はピンポイントで救助出来ます。出来ない場所は北アルプスの岐阜県側では北穂の滝谷のツルム下と奥穂のジャンダルム近くのセバ谷附近です。そこでは70mでは届かず苦労して下したりしていますが、いずれにしても我々にとっては楽な救助になりましたし、遭難者にとっては生存の確率が高くなっています。
(二重遭難)
次に二重遭難の話しをします。我々救助に携わる者が絶対起こしてならないのが二重遭難ですが、残念ながら岐阜県では過去に2件発生しています。1件目は映像にもありましたが、昭和52年5月4日に滝谷で3歳年上の長瀬警部補が亡くなりました。状況は長野県の山岳会の人が滝谷で死んだのです。今はそんな気骨のある山岳会はほとんど無くなりましたが、当時は山岳会の人が自分たちで収容することが多かったのです。その山岳会も自分達で収容するけれど道がよく分からないので2名ほど道案内を頼む、ということで長瀬隊員ともう一人若い隊員が行ったのです。ナメリ滝という難所にさしかかり、雪渓を横切っていた時落石があり、それを避けようとしてアイゼンが滑り10m位落ちて岩にぶつかったのです。
私は当時入隊2年目で、近くの穂高岳山荘で第1回目の春山常駐という任務についていたのですが、夕方になって無線が入ってきました。谷底からなので感度が悪く断片的な情報しか入ってきませんでしたが、遭難間違いなしということで、他の隊員と3名でD沢を下り現場に向いました。長瀬隊員を山岳会の人と一緒に降ろしていると、下から警備隊の仲間や民間の北飛山岳救助隊の人も登ってきて、合せて20人以上集まりました。翌日病院に運びましたが、亡くなりました。
2件目は平成21年9月11日、ジャンダルムのそばのロバの耳という所で防災ヘリのローター(主翼)が岩に当って、ヘリがセバ谷に落ちて3名が亡くなるという大変痛ましい事故です。当日、私達警備隊は沢登りの訓練をしており、参加しなかった1人の隊員が現場で作業をしている時にヘリが落ちてしまったのです。すぐに別の警察のヘリで遺体収容とか実況見分とかを担当しました。
また、長野県に東邦航空という遭難救助に多くの実績があり、山岳遭難は任せなさいという会社があります。ヨーロッパ仕込みで、時間を短縮するためヘリの下部にワイヤーを垂らし、そこにハーネスをつけそのまま現場へ行くというすごい方法でやっていた篠原秋彦という大ベテランがいました。私も何10回となく一緒に活動しましたが、その人が平成14年に鹿島槍で、遭難者と一緒にモッコの中に入って吊り上った時に落ちて亡くなっています。
これ等の事故はその時その時の原因があります。長瀬さんの場合は、山岳会で収容したいというので道案内で隊員が2人行きましたが、今から思うと3年以内の若い隊員だけで厳しい現場に向かったということです。ルートの取り方に無理があり、ベテランがいたのに使わなかったということで人選も良くなかったと思います。
防災ヘリの場合は、うちのパイロットがたまたま所用で出れないということで、急遽防災ヘリに飛んでもらったのですが、やはり北アルプスの経験が乏しかったのです。山の天候は風や地形に左右されることが多いのですが、その特性を知らなかった。応援してくれたことには感謝していますがやはり無理があって、判断が良くなかったのが原因だと思います。
東邦航空の篠原さんは大ベテランで、日本で最高の遭難救助件数をこなしている人です。慎重な人ですが、何時も遭難現場をビデオで収めていました。危険な場所でもそうで、亡くなった鹿島槍の場合も遭難者と一緒に現場を離脱したまでは良かったのです。それで安心したのか、途中でビデオを撮るなどしており、やはり油断があったのだと思います。この他に北アルプスでは富山県警で3名、長野県では民間の救助隊員4名が殉職しています。
我々の場合も一般の遭難者と同じで、本人の無念さはもとより残された家族全員の生活が狂ってしまうということで本当に悲惨な出来事です。仕事というだけで、結果は一般の方の山岳遭難と同じで絶対やってはならないことですが、私達山岳警備隊は救助が仕事でありプロですから、遭難者の生と死が私達の双肩にかかっているのです。どんな危険な場所でも1分でも1秒でも早く現場に駆けつけ俺が助ける、という気位いというか気概がなければやれない仕事です。そういう厳しい中で40年間出来たということは、他人の命を助けることが出来たという達成感と、危険な所では私達しかやれないという満足感や誇りではないかと思います。他に楽な仕事とか楽なポジションがありますし、給料のいい仕事とか出世欲とかありますが、それと離れた所に変な魅力があり、その魅力があったためにこれまで続けられたのだと思います。
今は私達の活動が報道されたり本なんかも出ていますので、すごくいい隊員が入ってきます。県内だけでなく関西とか東京辺りからも来ていますし、大学の山岳部や社会人山岳会で海外遠征したような人も入ってくれて、すごくありがたいです。
(最近の遭難事故)
遭難事故のことについて話します。岐阜県下では昨年初めて遭難件数が100件を超えました。非常に残念なことです。正確には発生が106件で、負傷者60人、死者23人、そして行方不明が1人です。参考までに今年は10月現在で83件発生しており死者は11人となっています。昨年より少しは減っているということで喜んでいます。
県下の遭難の形態で一番多いのが道迷いで36件、次に転落滑落の33件です。北アルプスのように厳しい山では転落滑落が多いのですが、里山では道迷いが多いです。北アルプスは登山道がはっきりしており道標も多く、又来られる人もベテラン登山者が多いので、道迷いは少ないような感じです。
道迷いや冬山遭難で特に注意してほしいのは、皆さんの使われている携帯電話です。このバッテリー切れが一番問題です。今はどんな場所でも携帯が使えます。北アルプス周辺で使えないのは滝谷、白出沢、それに新穂高に近い右俣左俣、それ以外はほとんど使えます。ヘリを要請してからバッテリーが切れたため、特に冬なんかで遭難者を発見できず凍死というケースが何件かありました。
山ではバッテリーの消耗がものすごく早いです。このことを念頭において、時間を決めて警察と交信して、使わない時は電源を落としておく。さらに肌につけて寒さを防止、そして予備電池を何個も持つ、このことに配慮して欲しいです。110番で元気だと電話した後、どれだけ捜しても見つからず亡くなっていたというのでは我々もすごく悲しいですし、このバッテリーは絶対に大事にしてほしいと思います。
道に迷った時、沢や谷に降りて転落死というのも非常に多いです。迷って下の方に町の灯りが見えると「あゝ、あっちだな」と灯りの方に向かって夜でも下に降りていく人が多いのです。沢とか谷には地図に表れない滝などの難所が沢山あります。今までに地図に表れない滝に落ちて死んだ人も沢山います。迷ったらむしろ高い方へ行った方が発見されやすいし助かることが多いのです。そのことも頭に入れておいて下さい。
ヘリを呼んだら、林の中では発見しにくいですから、木の少ない所とか草原とかの発見されやすい場所に移動して我々を待っていてほしいと思います。余談ですが、昨年日本山岳会の人が奥飛騨の藪山に登られました。私も一緒するつもりだったのですが、たまたまヘリの用事が入って参加できませんでした。ヘリの用件を済ませて時間があったので、様子を見にその山に行ったのですが、皆さんの姿は全然分かりませんでした。後で登った人の話を聞くと、ちょうど頂上に着いた時にヘリが来てすぐに「あゝ、谷口さんだな」と分かったけれど、真上で爆音は聞こえても機体は全然見えなかったということでした。本当に林の中は全然分かりません。
分かりやすい場所に移動したらタオルとかジャンパーなどを振って、自分の居場所を教えて下さい。黄色とか赤色とかがよく分かります。穂高の稜線なんかでは登山者が多く、ヘリを見ると皆手を振るのですね(笑い)。ヘリの起こす風が強いので余り近くには寄れず少し離れた所から見ているのですが、誰が遭難者かよく分からないのです。持っているものを上に上げ大きく振って、気がついたなと思ったらそれを上下させて下さい。この2つの動作をしてもらったら大体分かります。
10年ほど前に長野、富山、岐阜3県の遭難防止対策協議会でこの方法がいいと決めたのです。その時は広報したのですが、大分時間がたったのであまり知らなくなってきています。改めて広報しなければならないなと思っていますが、この2つの動作をしてもらうと間違いなく発見出来ます。
林の中では煙を出すのもいい方法です。カメラや携帯のフラッシュをたくものいいです。何でもいいですから、自然の中に不自然なものが1つでもあったらよく分かります。東邦航空の篠原さんからは、女性のコンパクトが光ったので発見出来たという話を聞きました。色々方法は有ると思いますので、皆さんで自分が助かる方法を考えて下さい。

(ヘルメット)
次にヘルメットのことについて話します。北アルプスでは転落滑落が多いので、ヘルメットの着装をお願いしたいということです。現在、槍穂高では多くの人がヘルメットをつけています。100mくらい落ちて絶対ダメだろうという場所でも、全身打撲や骨折はしていても頭はやられず助かったていうケースが何件もあります。今年も長野県側に落ちたのを我々が助けにいったのですが、その時も100mくらい落ちていました。ヘルメットは着けていなかったのですが、近くに割れたヘルメットがあり、そのお陰で助かっていました。
岩場ではヘルメット着用をお願いします。涸沢ヒュッテ、涸沢小屋、槍ヶ岳山荘、西穂山荘などには貸し出し用のヘルメットもいくつかあるようですが、数に限りがあるのでなるべく自分のヘルメットをかぶって下さい。
昨年の御嶽の時もヘルメットはいろいろ言われましたが、やはり噴火に対しても有効です。飛んでくる岩なんかはヘルメットくらいではどうしようもありませんが、逃げる途中ころんだりすると思います。小石も飛んできたりしますからヘルメットは有効な手段です。長野、富山でもヘルメットをかぶるようにしましょうという動きです。
(登山届)
登山届について話します。岐阜県では昨年県条例を作って、北アルプス、御嶽、焼岳に入る時は提出することを義務づけしました。出さない人には過料とかの厳しい話しもありますが、それが目的ではなく、出してもらって安全に登りましょうということで作った条例ですからお願いします。
登山届は大事だと思います。この仕事を40年近くやっていて、遭難事故に際してもし登山届が出ていたら助かっただろうというケースが幾つかあります。登山届を出していたら早い立ち上がりで捜索出来ますし、場所もピンポイントで捜索範囲を絞ることが出来ます。是非出していただきたく思います。
さっき映像であった手記が出て来た事故は平成7年6月のことです。岐阜の方でしたが、西穂高の外(そで)ヶ谷という西穂山荘から焼岳へ行く尾根とロープウェーへ行く尾根の中間の谷に迷い込んだ32才の男の人がメモに残された遺書です。ちょっと読んでみます。
「95年6月14日 月曜から遭難して今日は水曜日 お母さんごめんなさい 助かるよう頑張るけど寒さがつらい 今は元気だけれどこの先分からない もしもの時はお母さん今までありがとう あなたの息子でよかった」とメモしたのが遺品から出て来たのです。母親が、同じ悲しみを味わう母親が出ないようにと公表していただいたものです。登山届が出ていたなら早い段階で間違いなく救出できたケースでした。私が登山届の提出のお話しをするのは、この遺書の中身がいつも心に残っているからです。
山岳会の方は何時も出されていますが、個人の場合は登山届を作るのが面倒ですし出しにくいものです。けれど作る時にはコースタイムの把握とかエスケープルートの確認、装備品や食料のチェック、万一遭難した時の連絡先の確認等が出来るので、作成すること自体が皆さんにとって有意義なのです。ですから条例云々と言うことでなしに登山届を出してほしいと思います。登山届を出さない魚釣りとか山菜採りの場合でも、少なくとも家族とか職場の人に行き先を言って出かけることが自分の為になります。
新穂高の登山口には山岳警備隊がいますので、入山先の道の様子とかの情報が色々分かります。ぜひ登山センターに立ち寄って登山届を出し、このコースに変わったことは無いかと一声かけてくことが皆さんの為にもなりますので、よろしくお願いします。
山の事故については昔から色々な本などに書かれており、山の死は綺麗なものだとか山で死ぬのが本望だとか言われていますが、残った者はかないません。山の死というものは全然綺麗なものではありません。これまで話してきたように、行けば顔はつぶれ手足は折れて少し経てば蛆がわいたりしています。死臭は凄いもので、背負った場合家に帰って風呂に入っても全然落ちません。長い時間が経った遺体はそんなものです。さらに、もっと運が悪くどうしても発見出来ない人も沢山います。もし生存しても、車椅子の世話になったり凍傷で指が無くなったりする場合があります。そうなった人を私も沢山知っていますが、本人はいいとして家族への影響とか生活のことを考えてみて下さい。
この悲惨な遭難事故を防ぐ方法として、無理のない計画、装備品や食料の点検、トレーニング、体調管理、それに加えて登山届の提出を呼びかけているわけです。昨年県下で遭難した人の40%が登山届を出していました。北アルプスでは70%出していました。条例になったことで注目されて提出率が上がったのだと思います。今年はさらに提出率が上がっており、すごくいいことだと喜んでいます。昨年は全部の遭難の80%にヘリコプターを使っています。まさにヘリの時代です。1年間に遭難に係わった警察官の数は延べ2000人です。これだけの人が出動しました。
ちなみに御嶽噴火の時岐阜県からも百何十人の警察官が出ていますが、これは遭難でなく災害だということでカウントされていません。私の隊も当日からずっと出動していました。長野県より規模が小さかったのですが、背負ったりヘリで吊り上げたりと色々活動しました。私も2日目から何回か現場に行きましたが、ものすごく規模が大きく我々にはとても手の出しようのない大災害でした。
(最近の遭難)
昨年の遭難事故について幾つかかいつまんで話します。
3月30日に西穂山荘と焼岳の中間にある割谷山にワカンも持たず一人で入った人が、雪がひどくて動けないと言ってきました。我々は夜遅くまでみぞれの中を向かったのですが、これ以上行ったら自分達も危ないということで帰りました。次の日朝早くから捜したのですが全然見つかりません。3日後にヘリが発見してくれました。この時期アイゼンはもとよりワカンも持っていないことでは一人で身動きがとれません。装備が不十分ということで基本が出来ていなかったということです。
5月5日に涸沢岳の西尾根、冬に奥穂高へ行く一番簡単なルートですが、そこにある大学のパーティが登っていて2名が転落しました。初心者の人がトップで登っていたのですね。初心者の人は間にはさむようにして行くのが基本ですが、その基本が守られていなかったということで、非常に残念でした。
5月30日に槍ヶ岳で滑落。凍結していたのですが、ちょっと写真を撮るだけだからとアイゼンをつけていなかったのです。この日2人亡くなっているのですが、もう少し道具の使い方に気を使ってもらったら簡単に防げた事故です。
7月9日に南岳で韓国の人が道に迷いました。地図も持たずスニーカーだけで食料もない、登山届も出してないという状態です。たまたま領事館に電話が通じて、領事館から連絡があり長野が捜して、岐阜県側だということで我々が出動したのです。このように何もかも不十分で無計画な登山者にも対応しています。
7月18日には焼岳で79歳の人が転倒して頭を打った。ツアー登山でしたが大人数の参加者のわりにガイドが少なく面倒見切れなかったのです。ガイドにも色々いるのでガイドの数をもう2、3人増やしてほしいと言ったのですが、コスト的に無理でした。
8月16日には滝谷が増水して3名が流されました。山の水は一時にザーッと出ますが、雨が止めばすぐに少なくなります。そういう特性が分かっておらず無理して渡ったのです。槍平の小屋の人が「危ないです。もう少し待ったらひきますよ」と注意したらしいのですが、山小屋の人が言うと「小屋に泊まってほしいから言うのだ」(笑い)と思われることもあるようなのです。それで、どこまで止めたらいいのか分からないこともあるらしいのですが、小屋の人は山のことをよく知っていますから、その人の判断に従っていただきたいと思います。
9月14日に錫杖沢で2人が同じ場所で蜂に刺されています。入り口に何個所か注意看板を出していたのですが全然見ていないのです。折角の立て看板ですから、色々書いてあることを注意して見てもらったほうがいいと思います。

今年の遭難でも思うことが幾つかありますので、紹介させていただきます。
1月11日に52歳の人が笠ヶ岳へ向かったのですが、降雪で動けなくなったということで救助要請がありました。3日後にヘリで収容したのですが、どこも悪くないのですが全然気力が無くなっているのです。隊員がテントから出てこいと言っても全く動く気力が無い。山では助かろうという気力が無いとダメですし、我々もやる気がなくなります。(笑い)
3月28日に北穂の第4尾根を登って帰る途中、雄滝の滝壺に落ちて亡くなっています。行方不明になって暫く後に発見されたのですが、滝壺なんかの近くを通る時はアンザイレンしてザイルをつけたままでないとダメですね。いくら急いでいてもそういう基本が守られていなかったということです。今年の9月にあった岩登りの方も、第4尾根を登ってツルムを越して斜度が緩くなったということでザイルを外して稜線に上がる途中でいなくなった。C沢の右俣に落ちて亡くなっていましたが、ザイルはどこで着けてどこで外すかをキチンとしないと、折角のザイルですが身を守ってくれません。
7月27日にはノルウェー人の夫妻が、西穂から奥穂へ行く途中馬の背で動けなくなった。どこも悪くないのですが、奥さんが「こんな所は怖くて行けない。日本の案内には全然書いて無いではないか。我々をこんな所に行かせるのか」と言うわけです。夫妻で弁護士をされている人でした(笑い)。たまたま穂高岳山荘に山岳常駐の警備隊がいたのでザイルを張って連れ帰ったのですが、言っていることが全然分かりませんでした。後から何も言ってこなかったので問題になることもなかったのですが、外国人の登山者は多いですね。
看板をどの国の言葉で書いたらいいか、難しいところです。多い順に英語、韓国語、中国語とかでは書いていますが、ノルウェー人は何語を話すか分かりません(笑い)。日本山岳会なんかを通して、日本にもこんな厳しいコースもあるということを世界に知らせてもらえば有り難いですね。以前、韓国の方の遭難が増えた時にそういう動きをしてもらったことがあります。それで韓国の登山者のマナーが良くなりましたので、ぜひ期待しています。
8月6日、弓折岳で登山者がすれ違う時、上から降りてきた人が登ってくる人を待ったのです。その位置が谷側だったため当たって落ちました。やはり、待つときは山側というのが基本ですが、その基本が出来ていないとこういう事故になります。
8月10日には3名で抜戸岳から降りる途中で夜になったけれど、ヘッドランプが1つしかないので迎えに来てもらえないかということです。天気が悪いけれど行かないわけにもいかないのでいやいやながら行ったのですが(笑い)、アルプスへ行くときはランプ位は持ってきてもらわないと困ります。
8月19日には別の遭難があり、私も乗ってヘリで出動しました。その遭難者は長野の方で亡くなっていたのですが、ジャンダルムの飛騨尾根の横で1人倒れているのを発見しました。遭難してしばらくたっていたのですが、家族からもどこからも連絡はなく登山届も出ていないというので、気づくのが遅れたのです。早く分かっても助かるような場所ではないのですが、登山届が出ていれば早く捜索して早く見つけてやることが出来たと思います。
8月20日には焼岳で単独の登山者が下山中道を間違えて、さっきお話したように下へ降りて行ったのです。黒谷という中尾の方へ降りていく谷に入り、途中幾つか滝を降りたけれど最後の所でどうにもならなくなって救助要請がありました。たまたま携帯が通じる場所だったので助かったという事例です。やはり下へ降りるのは無理だということです。
(ヨーロッパ研修)
次にヨーロッパの研修のことを話します。皆さんの税金で行かせてもらいましたので、何か役に立つことがあればと思いお話しします。平成9年にフランスとスイスに行きました。こういう時代ですから装備とか訓練とかはネットで調べればわかりますが、現場の空気というものが知りたくて、お願いして行かせてもらったのです。
フランスではPGHM(山岳憲兵隊)というのがシャモニにあって、モンブラン、ドリュー、グランドジョラスとかで活動しています。これは軍隊です。兵隊が50名くらいいて、ドクターもいてヘリと一体で動いています。国立のスキー登山学校を卒業したエリートの集りで、選ばれたというプライド、身分保障もすごい。訓練も多く新しい装備を常に研究していました。ただ殉職者もすごく多く、ヘリの基地に40もの殉職者の名前が刻まれた碑があって横に空地もあるのです。「これからも殉職者は出るのかな、これは真似したくないな」と思いましたが、とにかくプライドとか新しいものを作る意欲というのは勉強になりました。
スイスではレガという所に行きました。これは年会費3000円を払えば誰でも会員になれるという組織で、世界中何処へでも行く、山岳、スキー、事故、病気何でも行くという対応です。ジェット機が2機、ヘリが16機、常にドクターや山岳ガイドが同行し、ここでも装備は自分たちで開発していました。ここもプライドの高い隊員でした。
まだ時間がありますので余談として聞いて下さい。私が腹の立ったことです。穂高岳山荘で足が痛くて動けないというのでヘリを頼まれた人がいました。痛ければ乗せていきますが、たまたまヘリが整備に入っていたのです。その頃は民間のヘリもありましたので、「県警のヘリは整備中なので、民間のヘリなら呼べます。若干お金はかかりますが」と言ったところ、「金を出すくらいなら歩いて降りる」(笑い)ということです。当時1時間60万円でかなり高いのは事実ですが、それなら最初から頼まなければいいわけで、そんな言い方無いだろうとこれには本当に憤慨しました。
もう一つですが、以前はアマチュア無線で遭難をキャッチすることが多かったのです。地元に大きなアンテナを立ててSOSをキャッチしてくれる人がいました。大変ありがたかったのですが、助かるたびに「感謝状を出しなさい。新聞にも載せなさい」と言うのですね。確かにありがたいのですが、度を越しているという感じで個人的には嬉しくなかったです。
これまで話したように、個人的な満足ということで助ける喜びはありますが、助かった人が良くなりましたと言って交番とか署に来てくれるのも嬉しいものです。退院しましたという礼状と一緒に地元の酒なんか送ってくれたりするのが一番いいですね。そういう時が人から喜んで貰える仕事をやっていて良かったと思う瞬間です。
(不思議な話)
不思議な話をします。平成の初め頃白出沢を夜遅く降りてきた人が、セバ谷の付近で人魂(ひとだま)を見たというのです。その後別のハガキが来てあの付近に光っていたと書いてありました。その頃奥穂の山頂付近で1人行方不明の人がいたのです。その人は大分上の方で見つかりましたし、私達はそのようなもの信じて捜索するようなことはしていません。霊媒師に見てもらうような家族の人もいて、図面を送ってくるのです(笑い)。どこどこの岩の附近にいるとか言ってくるのですが、捜しても見つからないのがほとんどです。
このように不思議なことはあまり無いのですが、平成12年に穴毛谷で抜戸岳の2700m附近からこれまで日本で一番大きいという雪崩が発生して、新穂高付近で土木の作業をしていた人が2人巻き込まれました。幅が200m厚さ7mくらいあり、どこを捜していいか分かりません。ブルドーザーが300mくらい流されてあったので、その付近ではないかとゾンデで探すのですが、1日やっていても見つかりません。夕方頃奥さんが来て「うちの人はここにいるのでここを掘って下さい」と、作業していた近くの窪みみたい所を指すのです。どこを捜すというあてもないので、折角だからと奥さんの言う所を重機で掘ったら出てきたのですね。素晴らしい奥さんでした。私の女房なんかはダメだと思いますが、そういう不思議なことがありました。
もう一つ、双六の山小屋の従業員が小屋に行く途中いなくなったのです。200人近くの人が3日4日と捜し、ヘリでも見る所がないくらい捜したけれど出てきません。最後にお母さんを「息子さんのいなくなった場所を最後に見ませんか」と言ってヘリに乗せました。飛び立って5分もしないうちに「あれは何ですか」と指差されたのです。後で捜しますと、そこに仏さんがいたのです。それが無かったら多分見つけることが出来なかったと思います。お母さんの息子さんを思う一途な気持ちが通じたということで、これも不思議な事でした。
(おわりに)
山は素晴らしい感動があり、私も山を楽しんで山から多くのことを学んでいます。しかしお話ししたように、感動の裏には遭難というものが潜んでいます。山岳会の方は比較的いいのですが、一般の方は山について学ぶという機会が少ないような気がします。あらゆる機会を通じて、山は怖いものだということをお話して知ってもらうことも我々の仕事ですので、そういうことをこれからもやっていこうと思います。悲惨な事故が一件でも無くなることと、日本山岳会岐阜支部のますますのご発展を祈念して、私の話を終ります。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

〔質問〕長野の方で山岳ルートの難易度を決めることをしていますが、岐阜県はどうですか?〔答え〕グレーディングのことですね。長野を中心に関東の方で5県くらいで取り組んでい    ます。安全登山につながるいい事なので、岐阜県も今年からある程度山を選定して    取り組んでいます。私と北飛山岳救助隊の隊長と山岳連盟の木下さんが中心になっ    て、その土地の山に詳しい人に聞いて山の難易度を認定する作業に今取り組んでお    り、近々発表出来ると思います。
〔質問〕山岳警備隊の任務を終えたら、自分で山を楽しむ気持ちはありますか?
〔答え〕個人的に山は好きですから、警備隊を辞めた後あまりみっともないことは出来ませ    んが、楽しい山行をするつもりです。
〔司会〕参考までに、谷口さんには昨年日本山岳会岐阜支部の会員になってもらいました。
〔谷口〕新米ですので、よろしくお願いします。(笑い)
〔質問〕登山届ですが、岐阜県は県警に出しますが、愛知県や三重県でも同じですか?
〔答え〕岐阜県は条例が出来てから登山届は県が管理するようになりました。これまでは最    寄りの署や登山センターで受け付けていましたし、これからもそこで受け付けます    が、最終的には県の方へ送ってそこで管理します。よその県も警察へ出して大丈夫    ですが、県が管理するようになると思います。登山届は県が管理し、警察は遭難救    助と事故防止の方を担当するということになっています。(拍手)
(平成27年11月13日 講演)

谷口光洋さん

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