壁上 

9月例会山行(登りたくない山)

壁  上 (1556.6m 二等三角点)

03.壁上

かつて県内の一、二等三角点巡りで登った全くの無名峰。2度と来ないと思ったけれど支部の山行に組み入れられ、再度登るはめとなった。「登りたくない山」の所以である
集合時間の15分前に全員、と言っても3名だが、集合し出発。途中ひるがのSAで休憩し、ほぼ予定の時間に栃尾発電所に到着。最初は発電所の導水管の巡視階段を200段登り、勾配が変わり急になった個所から山腹につけられたジグザグ道を登る。非常にいい道で、上池までの290mを何と35分で登ってしまった。これには驚いたけれど、自信にもなった。
その先道はないが、全然下草のない植林帯の尾根の急登になる。それも標高差にして150m程で、後は二次林となり1226mのピーク付近からは緩やかな稜線漫歩。薄い藪を気持ちよく進み、一旦30m程下る。そこからがこの山の核心部で、「壁上」の名前の由来と思われる壁のような山腹の登りとなる。一帯はブナなどの疎林で足元は背の低い笹原。藪は全然気にならないが、とにかく急である。笹に掴まりながら高度を上げていく。
登る途中、最初はしっかりしたけもの道だなと思い辿っていたが、どうも人の歩いた跡らしい。そのうち木の枝にテープがぶら下がっているのを見つける。我々以外に物好きはいるのだな、と自分達のことはさておき感心することしきり。ようやく稜線の鞍部に登りつく。
左へ稜線を辿る。不思議な地形で、両側が深く切れ落ち高度感抜群。樹木があるので怖さはないが、無いと大変だろう。その樹木の根と落ち葉で地面はフワフワ。2、3度踏み抜いたりして、まるで空中を歩いている感覚である。そのような稜線の最高点を過ぎ、やや下った西の端に三角点があった。両側の切れ落ちは無く、やはり地面のしっかりした場所を選んで設置したのだろうと思う。
時間的に予定通り登れたので、頂上でゆっくりし同じルートを戻る。最後の長い階段は手摺りを頼りに慎重に下った。2度目で登りたくないと言っていたけれど非常に楽しい山行だった。ただし、決して3度目は登りませんよ。                 [堀 義博 記]

[日 時] 平成26年9月14日(日)
[場 所] 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷今見
[参加者] 後藤 充、竹中美幸、堀 義博
[タイム] 岐阜県庁駐車場3:45=栃尾発電所脇車止6:35~6:55―上池7:30~7:40-P1226        8:10~8:20-稜線鞍部10:00-壁上頂上10:45~12:00-稜線鞍部12:30-P1226       13:35―上池13:50~14:00-車止め14:25~14:45=県庁駐車場18:30(解散)
[地 図] 1/20万;高山   1/5万;上高地   1/2.5万;焼岳、笠ヶ岳

菩提山401.1m~明神山658.8m

山P1180042日本山岳会岐阜支部の27年度初の山行、菩提山~明神山

秀吉の天下統一にかかせなかったと言われる、黒田官兵衛と竹中半兵衛。

竹中半兵衛は岐阜県大野町の生まれ、1559年半兵衛の父重元は垂井町の菩提山に城を築き居城としました。

2014年NHKの大河で話題となり、訪れる人も増え、地元の竹中さんの案内で菩提山と明神山を登ってきました。

予定人員を上回る20人の参加で、菩提山までの2人を除く18人が明神山までの9kmを歩いた。

菩提山からは、一旦下り、徐々に登りとなる。

ピークにある石の鳥居はマイマイガの卵でびっしりで驚くが、大正9年に建立されていることには、大きな話題となった。

溝状の登山道は雪が深く、尾根を選んで神社に着く。

山頂は少し奥だが、こうやマキや山椿が植えられている。

山頂から眺める伊吹山は真っ白に輝いていた。

昼食は、東屋と日当たりのよい場所などにそれぞれに分かれて取った。

下りは、大和猛ゆかりのさかさ杉を訪ねる。

見晴らしの効く所からは霊仙、御嶽、中央アルプスが望まれた。

予定より早く禅憧寺に下山した。

年の初めの充実した山となりました。